気まぐれ釣り師の、底抜け冒険譚!

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HERO's.

11月27日 日曜日


午前7時起床。 朝食の「朝粥」を作り「あみの佃煮」と「ほうれん草とハムのソテー」で頂く。

身支度を整えて、出動。


宝珠寺山門

お隣、伊勢崎市にある「宝珠寺」というお寺。

ここには、伝説の武将「藤原秀郷公」の墓所がある。

「藤原秀郷公」 「俵藤太=田原藤太」とも言われ、天慶の乱で「平将門」を討ち取った伝説の武将ですね。

秀郷公墓所

本堂の裏手にある墓地内に秀郷公の墓所はあります。

こちらの五輪塔がそうだと伝わっています。

「藤原秀郷公  俵藤太」は、近江の国田原村の出身で、弓の名手として幼少より武勇の誉れ高い人物であると伝わっています。

瀬田の大橋の大蛇を踏みつけた伝説や、三上山の大ムカデ退治などの伝説がありますね。

秀郷公墓所2

三上山の大ムカデを退治した秀郷公は、約束により琵琶湖の竜王に招かれ「竜宮」にてもてなされ、竜王から黄金の鎧、これが「避雷矢」と伝わっています。 それから黄金の太刀、これが「毛抜形太刀」だとの説。そして黄金の鐘を贈られました。

ここ群馬にある、「俵藤太伝説」は、「赤城山の伝説」に繋がる所があって、調べているとかなり面白い繋がりに気付きますね。

「赤城の大ムカデと日光男体山の大蛇伝説」 

これも「大ムカデ」と「大蛇」が出てくるし、もしかしたらこの「赤城と男体山」の争いの話は、「秀郷公と日光の豪族」との戦いの話が着色されて出来たのでは? と解釈している学者もいます。僕もそう思っている人間です。

で、 秀郷公が行った「竜宮」 僕はこれが「赤城小沼(このが正式名称です)の竜女伝説」だと考えています。

伊勢崎市にはもう1つ「竜宮伝説」があり、地名にもなっていますね。


  
赤堀郷の長者で 赤堀道玄 という者が居り、16歳になる一人娘が居ました。

その娘が、赤城山に参拝に行きました。一行が山に登り始めると、黒雲が流れてきて辺りは嵐のように

荒れ模様になってきました。
  
と、娘が「水が飲みたい」と言って、小沼に差し掛かったとき

伴の者達を振り切り、沼に近付いたと思ったら、“ザブン”と沼に飛び込んでしまい姿を消したしまった。

お伴集が探し回ったが見つからず、そのうち辺りは荒れに荒れ、波立つ湖面から

「私は召され沼の主になります。両親によろしくお伝え下さい」という声が響いた。

娘はもともと小沼の主だった。

お伴の腰元たちは「このまま帰れない」と皆、小沼に入水してしまい「カニ」になってしまった。

このカニの事を「腰元ガ二」と呼んでいる。

赤堀の家ではその後、娘の命日に赤飯を炊いて重箱につめて沼に奉納することとなった。

奉納した重箱は波に引かれて沼の真ん中に流され、やがて空になって戻ってくる。その中には竜の鱗が一枚入っていると言う。
  
この事から、赤城山では16歳になる娘は登ってはならないという言い伝えがあり、登る時には
  
引き込まれないように小沼に身代わりとして鏡を投げ入れる。また、子ガニを巾着に入れて沼に放った。



という、言い伝えがあります。
 
他には、徳川家康の旗本に「小菅又三郎」と言う者が居て、その妻が赤城山に参拝に行くと、小沼の辺りで無数のムカデ襲われ沼に引き込まれた。その後沼の主「龍蛇」の姿になって現れた。

という伝説もあります。

で、ここが面白いのだが、 「小菅又三郎の妻」と言うのが「赤堀道玄の娘」である。ということ。と、「赤堀氏」が、「秀郷公の子孫」であるということ。

面白い繋がりなんですよね。


ここの宝珠寺の墓所には、その「赤堀道玄」と「小菅又三郎」のお墓もあります。


話が逸れましたが、秀郷公。

平安時代の武将で、朝廷の命を無視し自らを「新皇」と称し関東8ヶ国を荒らしまわった将門を、平貞盛公と合力し、下総の国 幸島で攻め滅ぼし、この功績により押領使(今で言う警察)から下野守を任され、武蔵守も兼任。従四位の下の官位を受けました。

栃木県佐野市にある 唐沢山城址。 ここには秀郷公が作った唐沢山城がありました。 今は、唐沢山神社となり、将門の乱を平定した秀郷公が祭られています。で、ここに黄金の鎧「避雷矢」の一部分が残されています。

「避雷矢」の鎧には、桐生市梅田地区に残された伝説で、「忠綱明神」に繋がっていまして、この「忠綱」が、伝説の猛将「足利忠綱公」で、忠綱公が使用していた鎧が「避雷矢」だとされています。

歴史伝説って面白いですよね。


次に、これは僕が歴史上の人物で一番好きな武将。

「源九朗義経」の伝説が残されている場所。

以前にも紹介したことがありますが、群馬にはまだまだ残されているんですよ。 「義経伝説」

今日は、その中で2つ紹介します。

伊勢崎市内に残されている場所で、「弁慶の掛矢清水」と言うのがあります。

弁慶の矢掛清水の地

現在は、その場所の指定しかされては居りませんが、ここに残されている伝説です。

義経一行が奥州に下る時、この付近で「喉が渇いた。水場を探すように」と命を受けた弁慶が、天に念じると

「立っている場所を叩いてみよ」というお告げがあり、七つ道具の一つの「掛矢」で地面を叩くと見る見る清水が湧いて出てきた。

と言う伝説が伝わっています。

今では、湧き水というより、「汚ねぇ用水路」が流れていますが・・・ 

郊外の静かな畑の中に、ここは在ります。


次に、掛矢清水の近くに在るのですが、「酒盛り地蔵」と言うのがあります。

これ、気をつけないと通り過ぎてしまいそうな、何の変哲も無い地味~な場所なのです。

酒盛り地蔵

ここには、ブロック塀で囲まれた中に、小さなお地蔵様が安置されていまして、ここに残されている伝説と言うのが

義経一行がやはり奥州に下る時に、地元の人々が一行を歓待する為、宴の席を設けました。 するとそこに一人の僧侶が現れ、一行と村人と一緒に宴に混ざり義経の前途を祝した。というもの。で、その僧侶と言うのが、化身した「勝軍地蔵菩薩」だったと伝わっています。

と言う事で、ここに地蔵菩薩を安置し奉ったということらしいですね。

酒盛り地蔵2

中を覗くと、ちょっと整頓が足りない気がするけども、正面に薀蓄の看板。その下に古くなりすぎて顔がハッキリ判らなくなった小さなお地蔵様が祀られていました。


まだ、この付近にはいくつかの「義経伝説」が残されています。

五目牛町の「牛石」や 正観寺の「馬殿塔」など。

また、機会があったら紹介します。


歴史伝説を追いかけるのは、実に面白いです。 

これからもどんどん行動範囲を広げて、追いかけてみようと思っています。

おしまい

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Change Beetle!

連休・・・

17、18日深夜。二晩続けて「虫探し」

毎年、この季節は週末の深夜、コソコソと近所の山や山間部の街燈の下でうろついています。

毎年思うのが、「年々数が少なくなってきている」

カブトムシ

隣町のみどり市の山間部の街燈下で、この日最初に見つけたカブトムシ。

カブトムシ2

目の周りに「ダニ」が目立つけれど、今年初めてのBeetle. 子供の頃はこいつを見つけると飛び上がるほど嬉しかったけれど、この歳になると逆に「お前、頑張れよ!」なんて虫相手に話しかけてみたりしている。こいつらも、そのうちに「絶滅危惧種」になったりするのだろうか? 20年位前はもっと沢山確認できたんだけれどね。
本当、少なくなった・・・


場所を変えて、今度はもう少し街に近い田園地帯にある雑木林。

ここも20年位前には、一晩で売るほど捕れたものだったけれど、農薬などが減少の原因らしい。でも、それは人が生活して行くのには仕方のないこと。この何とも言えないジレンマ。たかが「虫」でも、絶滅なんてことだけにはしたくはない。子供達にもこいつらと触れ合える機会を残してあげたいよね。

カブトムシ3

光をいきなり当てると逃げるので、Lowではじの方に光を当て、弱いフラッシュにて撮影。 食事中みたいだったので、邪魔しちゃあ悪いと思ってね・・・

くわがたむし

目の前のクヌギの木の大きな洞に「コクワガタ」を発見! こいつも今年初のStag Beetle.

その裏の上の方に・・・

かぶとむし4

ただ、こちらの食卓には「カブトムシ」の他に「ゲジ」と「ゴキ」が・・・ 僕的には絶対に合席は遠慮したいですね。 
昆虫界の英雄と嫌われ者のコラボ。気色悪いのでこの日はこれで帰宅。

子供の頃は「仮面ライダーストロンガー」だったけれど、今の子供達には「仮面ライダーカブト」

「カブト」の方がまんま馴染めそう。まぁ、どちらも子供達にとっては「HERO」なんでしょうね。


おしまい

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Wonder working.

6月27日


今日は早朝からドライブ。

群馬県と長野県の県境に鎮座する「碓氷峠 熊野神社」へ参詣に出掛けた。

国道18号 碓氷バイパスを実に1年ぶりに走り、軽井沢駅方面へ。

旧軽井沢の街を抜け、見晴台方面に山の中の狭い道を上ってゆくと、門前町というほど大きくは無いが、いくつかの店が現れる。すると道路の左側に「熊野神社」が見えてくる。

碓氷峠熊野神社3

この参道の中央が県境にあたるらしい。 


西暦110年頃。東国を平定した「日本武尊」が、碓氷峠に差し掛かったところ、濃霧のため道に迷ってしまった。するとそこへ、熊野山の神使霊鳥「八咫烏」が現れ道案内をした。そして無事山頂へ辿り着く事が出来たという。そしてここに熊野の神を勧請したのがこの神社の始まりだと伝わっているそうです。

本宮殿には「日本武尊」を祀っています。

碓氷峠熊野神社

ここで、「日本武尊」の薀蓄を少々。

第12代景行天皇の皇子で本名を「小碓命 おうすのみこと」と言います。

「古事記」では「倭建命」 「日本書紀」では「日本武尊」記しています。

碓氷峠熊野神社・2

「日本武尊」の伝説に登場する美しき女神「弟橘姫命 おとたちばなひめのみこと」 日本武尊の妻で、夫への愛を貫き、日本武尊の使命達成の為に自らの身体と命を海神に捧げた悲劇の女神。 最愛の妻の死と言う尊い犠牲を払い無事に海を渡ることが出来た日本武尊が、ここ碓氷峠に辿り着いた時にこの場所にて、妻「弟橘姫」を想い房総の海に向かい「吾嬬者耶 あずまはや」と三度叫んだと言われる場所です。
 
ここに立つと、何となく「義経と静御前」の悲恋の物語を連想してしまう。 遠い昔からこういう悲しい物語っていうのが在ったんですね。 ちょっとロマンティックな気分に浸ってしまった。


碓氷山荘力餅

ちょっとお腹が空いたので・・・

「碓氷山荘」にてちょっと早い昼飯。

名物「峠の力餅」がついた「山菜蕎麦セット」を注文。山椒の香りがちょっときついけど、美味しかった。

碓氷峠の力餅

名物「碓氷峠の力餅」 

「碓氷貞光の力餅」とも言うらしい。  

「碓氷貞光」と言えば、源頼光の四天王の1人で、平安時代に活躍した武将ですね。この「熊野神社」の社家に生まれたと伝わっているそうです。で、怪力の持ち主だった貞光にあやかり、「力持ち」が「力餅」となったそうです。
因みに、他の四天王は「渡辺綱 わたなべのつな」「坂田公時 さかたのきんとき」「卜部季武 うらべすえたけ」ですね。 坂田公時は、あの「金太郎」のモデルになった人物。 渡辺綱は、京都一条戻り橋で、「茨木童子」の腕を斬り落とした益荒男。 卜部季武は、今昔物語の姑獲鳥退治で知られている武将です。いずれ劣らぬ侍集団で、頼光と供に「大江山の酒呑童子退治」などで名を馳せていますね。

「熊野神社」前の道を更に進むと、「霧積温泉」へと続く道に出ます。

その途中に「碓氷川水源地」があります。

碓氷川水源地

滾々と湧き出る透き通った水は、ひんやりと冷たく、蒸し暑いこの時期には天然の冷房みたいでとても居心地が良かったですね。 明治天皇もここの水を飲んだそうですし、ここの直ぐ上には「旧中山道」があります。ここを通られた「皇女和宮さま」もこの水を利用したかも知れませんね。

旧中仙道
 
これが「旧中山道」 ここを「和宮さま御一行」が江戸に向けて歩いて行ったんですね。 「和宮さま」というと、どうしても大河ドラマ「篤姫」の時の堀北真希チャンが頭に浮かんでしまう。


さらに「旧中山道」を進む。すると、道標の脇にこんな看板が・・・

熊出没注意!

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

♪スタコラサッサッサのサァ~・・・   退散!!


「熊野神社」の社務所にてこんなものを購入

御守り

サッカー大好きな弟にお土産。 諸願成就の御守りらしいので、なんかいいことあるんでしょうね。



おしまい

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a Sorrowful tale.

4月23日

2日続けての雨。 憂鬱以外なにものでもない。

雨で仕事も出来ず、とことん退屈だ。寒いから釣りに行く気にもなれない・・・つまらん・・・


ということで、今日は読書。

愛読書

「バリ・トゥリ・ヒタ・カルナ」 先日、買い物に出かけた際に購入してきた珈琲をプレスで淹れて、タイイングデスクに向かう。バイスを退けて、珈琲を一口啜る。ハイローストの苦味は寝ぼけた脳には良い刺激だ。

僕の大好きな作家先生の本。地元群馬出身の「樋口有介」先生。 沢山出版されている中で、僕の一番好きな物語「初恋よ・・・」 そして、「枯葉色・・・」。 で、今、読みかけの最新刊「捨て猫という名前の猫」。 内容は・・・
是非、読んでみてください。まだ、本屋さんにあると思います。


正午近くまで、机に向かっていたためちょっと休憩。まぁ、僕の場合、休憩でも動き回っているのだが・・・

霧雨の降る中、またしても群馬のLegendに会いに行く。

養行寺2

全国には、「悲恋」と名の付く物語、伝説が多くあります。中でも、僕が一番思い入れのある物語が「義経伝説」ですね。 源九郎義経と静御前の悲しき物語。

その「静御前」にまつわる史跡が、ここ群馬にも御座います。

ここは、前橋市に御座います「養行寺」というお寺。こちらに「静御前」を祀った石塔があります。

養行寺3

中央奥の古ぼけた石塔。「静御前の塔」。 静御前のお墓という説もあります。

1168~1189年? 白拍子磯ノ禅尼の娘で、九郎義経の愛妾であった美女。

1186年3月。吉野山で離ればなれになった九郎を慕い、鎌倉鶴岡八幡宮にて頼朝、政子の前で舞を踊ったことは有名ですね。

   「吉野山峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」
  「賎や賎しずのおだまきくりかえし 昔を今になすよしもがな」

静御前が詠った歌には、心の底から九郎を想う、悲しい女性の魂の慟哭が感じ取れます。 

1189年9月。九郎を追って奥州に向かう途中、「義経討死」の報をうけ後を追うように、悲しみの中、二十歳でこの世を去ったと伝えられています。

前橋市には他にも、岩神の「観民稲荷」に「静御前の墓」と伝わる祠がありますが、どちらも奥州に向かう途中に静御前が倒れた場所だとされています。

群馬には、結構「義経伝説」が多く残されていて、安中には「義経四天王」の1人「伊勢三郎義盛」の屋敷跡や供養塔が在るし、箕郷には義経が奥州に逃げる際に残した借り証文が残されていると伝わる。また、倉渕の「岩窟観音」には
源平合戦の勇「熊谷次郎直実」の愛馬「権田栗毛」が祀られています。

「熊谷次郎直実」と言えば、源平合戦で、九郎義経に従い「鵯越の逆落とし」で一番槍の誉れ高き武将。蒲の冠者率いる主力部隊と平家軍を追い込んだ名将ですね。そして、「敦盛」の主人公的人物ですね。


まだまだ、Legendが豊富な群馬。今日みたいに気が向いたら、もっと追いかけてみたいと思います。

「で、釣りはしないの???」

ぼちぼちね・・・


おしまい


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The Legend.

4月11日。

晴れているのか曇っているのか、よく判らない空模様。

今日は、地元群馬に縁のある人物に会いに行った。

僕の自宅から車で20分位の所にある伊勢崎市「養寿寺」。こちらに眠っておられるのが群馬を代表する侠客「長岡忠次郎」こと「国定忠治」親分。

国定忠治

1810年(文化7年)現在の伊勢崎市東村生まれ。 群馬と長野を渡す大戸宿の関所を2度に渡り破る。

二度目は白昼堂々、子分20人を引き連れての関所破りだったそうな・・・

当時の「関所破り」って、100年に1度あるかないかの重罪だったんだって。どえらい事をやった人物だったのね。

で、1850年に、西野目宇右衛門の屋敷内の納屋で、八州役人 中山誠一郎の指揮する捕手達によって捕縛され、自らが破った「大戸関所」にて磔に処されたのでした。享年41歳。

忠治親分って、かなりおっかない小父さんだったらしく、で、有名人だったのね。

「国定忠治は鬼より怖い、にっこり笑って人を斬る」と謳われた。 剣の腕に自信が有った親分は、北辰一刀流の「千葉周作」の玄武館に道場破りを敢行したって言う。 関所に道場に、破るのが好きだったのでしょうかね? でも、天保の大飢饉の時は、私財を投げ打って苦しんでいる民衆を助けたりもして。

国定忠治2

でもって、最後に捕縛された時には、役人に「最期の酒」を勧められたが「酔って死んじゃあ、男じゃねえ!」と酒を断り、素面で磔の刑を耐えたと言います。
超格好いい伊達男だった「忠治親分」の墓所です。


次は、現桐生市新里町にあります、「天台宗 新光太平山妙珠院 善昌寺」こちらの本堂の裏手に御座います「五輪塔群」。 こちらが上毛かるたで謳われている「歴史に名高い、新田義貞」の、「新田義貞公の首塚」と伝わる物です。

新田義貞2

新田義貞公といえば、鎌倉幕府を滅ぼし、越前藤島の合戦にて壮絶な最期を遂げた伝説の武士ですね。その義貞公の首級を家臣の桃井次郎が取り戻し、重臣 船田長門守善昌に預けました。

善昌は、主君義貞公の首級を手厚く葬り、生涯をかけて供養したと伝わっております。

新田義貞

こちらの五輪塔群は凝灰岩で出来ていますが、中央の大きな物だけ安山岩製で、これが「義貞公の首塚」と伝わっています。かつて、ここの真下から白磁の壺などが発掘されたそうです。

オオタカ

今日、こちらを訪れた時、上空に「オオタカ」を見つけました。しかも二羽。二羽同時にファインダーに納まったのは初めてのことだ。ラッキー!  少し小さいけれどね・・・

お寺の庭の「枝垂れ桜」がとっても綺麗でした。

善昌寺

春真っ盛り!  もうそろそろ渡良瀬川のヤマメも本格的に手強くなってくるだろうな・・・

おしまい。


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