6月27日
今日は早朝からドライブ。
群馬県と長野県の県境に鎮座する「碓氷峠 熊野神社」へ参詣に出掛けた。
国道18号 碓氷バイパスを実に1年ぶりに走り、軽井沢駅方面へ。
旧軽井沢の街を抜け、見晴台方面に山の中の狭い道を上ってゆくと、門前町というほど大きくは無いが、いくつかの店が現れる。すると道路の左側に「熊野神社」が見えてくる。

この参道の中央が県境にあたるらしい。
西暦110年頃。東国を平定した「日本武尊」が、碓氷峠に差し掛かったところ、濃霧のため道に迷ってしまった。するとそこへ、熊野山の神使霊鳥「八咫烏」が現れ道案内をした。そして無事山頂へ辿り着く事が出来たという。そしてここに熊野の神を勧請したのがこの神社の始まりだと伝わっているそうです。
本宮殿には「日本武尊」を祀っています。

ここで、「日本武尊」の薀蓄を少々。
第12代景行天皇の皇子で本名を「小碓命 おうすのみこと」と言います。
「古事記」では「倭建命」 「日本書紀」では「日本武尊」記しています。

「日本武尊」の伝説に登場する美しき女神「弟橘姫命 おとたちばなひめのみこと」 日本武尊の妻で、夫への愛を貫き、日本武尊の使命達成の為に自らの身体と命を海神に捧げた悲劇の女神。 最愛の妻の死と言う尊い犠牲を払い無事に海を渡ることが出来た日本武尊が、ここ碓氷峠に辿り着いた時にこの場所にて、妻「弟橘姫」を想い房総の海に向かい「吾嬬者耶 あずまはや」と三度叫んだと言われる場所です。
ここに立つと、何となく「義経と静御前」の悲恋の物語を連想してしまう。 遠い昔からこういう悲しい物語っていうのが在ったんですね。 ちょっとロマンティックな気分に浸ってしまった。

ちょっとお腹が空いたので・・・
「碓氷山荘」にてちょっと早い昼飯。
名物「峠の力餅」がついた「山菜蕎麦セット」を注文。山椒の香りがちょっときついけど、美味しかった。

名物「碓氷峠の力餅」
「碓氷貞光の力餅」とも言うらしい。
「碓氷貞光」と言えば、源頼光の四天王の1人で、平安時代に活躍した武将ですね。この「熊野神社」の社家に生まれたと伝わっているそうです。で、怪力の持ち主だった貞光にあやかり、「力持ち」が「力餅」となったそうです。
因みに、他の四天王は「渡辺綱 わたなべのつな」「坂田公時 さかたのきんとき」「卜部季武 うらべすえたけ」ですね。 坂田公時は、あの「金太郎」のモデルになった人物。 渡辺綱は、京都一条戻り橋で、「茨木童子」の腕を斬り落とした益荒男。 卜部季武は、今昔物語の姑獲鳥退治で知られている武将です。いずれ劣らぬ侍集団で、頼光と供に「大江山の酒呑童子退治」などで名を馳せていますね。
「熊野神社」前の道を更に進むと、「霧積温泉」へと続く道に出ます。
その途中に「碓氷川水源地」があります。

滾々と湧き出る透き通った水は、ひんやりと冷たく、蒸し暑いこの時期には天然の冷房みたいでとても居心地が良かったですね。 明治天皇もここの水を飲んだそうですし、ここの直ぐ上には「旧中山道」があります。ここを通られた「皇女和宮さま」もこの水を利用したかも知れませんね。

これが「旧中山道」 ここを「和宮さま御一行」が江戸に向けて歩いて行ったんですね。 「和宮さま」というと、どうしても大河ドラマ「篤姫」の時の堀北真希チャンが頭に浮かんでしまう。
さらに「旧中山道」を進む。すると、道標の脇にこんな看板が・・・

・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
♪スタコラサッサッサのサァ~・・・ 退散!!
「熊野神社」の社務所にてこんなものを購入

サッカー大好きな弟にお土産。 諸願成就の御守りらしいので、なんかいいことあるんでしょうね。
おしまい

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今日は早朝からドライブ。
群馬県と長野県の県境に鎮座する「碓氷峠 熊野神社」へ参詣に出掛けた。
国道18号 碓氷バイパスを実に1年ぶりに走り、軽井沢駅方面へ。
旧軽井沢の街を抜け、見晴台方面に山の中の狭い道を上ってゆくと、門前町というほど大きくは無いが、いくつかの店が現れる。すると道路の左側に「熊野神社」が見えてくる。

この参道の中央が県境にあたるらしい。
西暦110年頃。東国を平定した「日本武尊」が、碓氷峠に差し掛かったところ、濃霧のため道に迷ってしまった。するとそこへ、熊野山の神使霊鳥「八咫烏」が現れ道案内をした。そして無事山頂へ辿り着く事が出来たという。そしてここに熊野の神を勧請したのがこの神社の始まりだと伝わっているそうです。
本宮殿には「日本武尊」を祀っています。

ここで、「日本武尊」の薀蓄を少々。
第12代景行天皇の皇子で本名を「小碓命 おうすのみこと」と言います。
「古事記」では「倭建命」 「日本書紀」では「日本武尊」記しています。

「日本武尊」の伝説に登場する美しき女神「弟橘姫命 おとたちばなひめのみこと」 日本武尊の妻で、夫への愛を貫き、日本武尊の使命達成の為に自らの身体と命を海神に捧げた悲劇の女神。 最愛の妻の死と言う尊い犠牲を払い無事に海を渡ることが出来た日本武尊が、ここ碓氷峠に辿り着いた時にこの場所にて、妻「弟橘姫」を想い房総の海に向かい「吾嬬者耶 あずまはや」と三度叫んだと言われる場所です。
ここに立つと、何となく「義経と静御前」の悲恋の物語を連想してしまう。 遠い昔からこういう悲しい物語っていうのが在ったんですね。 ちょっとロマンティックな気分に浸ってしまった。

ちょっとお腹が空いたので・・・
「碓氷山荘」にてちょっと早い昼飯。
名物「峠の力餅」がついた「山菜蕎麦セット」を注文。山椒の香りがちょっときついけど、美味しかった。

名物「碓氷峠の力餅」
「碓氷貞光の力餅」とも言うらしい。
「碓氷貞光」と言えば、源頼光の四天王の1人で、平安時代に活躍した武将ですね。この「熊野神社」の社家に生まれたと伝わっているそうです。で、怪力の持ち主だった貞光にあやかり、「力持ち」が「力餅」となったそうです。
因みに、他の四天王は「渡辺綱 わたなべのつな」「坂田公時 さかたのきんとき」「卜部季武 うらべすえたけ」ですね。 坂田公時は、あの「金太郎」のモデルになった人物。 渡辺綱は、京都一条戻り橋で、「茨木童子」の腕を斬り落とした益荒男。 卜部季武は、今昔物語の姑獲鳥退治で知られている武将です。いずれ劣らぬ侍集団で、頼光と供に「大江山の酒呑童子退治」などで名を馳せていますね。
「熊野神社」前の道を更に進むと、「霧積温泉」へと続く道に出ます。
その途中に「碓氷川水源地」があります。

滾々と湧き出る透き通った水は、ひんやりと冷たく、蒸し暑いこの時期には天然の冷房みたいでとても居心地が良かったですね。 明治天皇もここの水を飲んだそうですし、ここの直ぐ上には「旧中山道」があります。ここを通られた「皇女和宮さま」もこの水を利用したかも知れませんね。

これが「旧中山道」 ここを「和宮さま御一行」が江戸に向けて歩いて行ったんですね。 「和宮さま」というと、どうしても大河ドラマ「篤姫」の時の堀北真希チャンが頭に浮かんでしまう。
さらに「旧中山道」を進む。すると、道標の脇にこんな看板が・・・

・・・・・・
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♪スタコラサッサッサのサァ~・・・ 退散!!
「熊野神社」の社務所にてこんなものを購入

サッカー大好きな弟にお土産。 諸願成就の御守りらしいので、なんかいいことあるんでしょうね。
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