気まぐれ釣り師の、底抜け冒険譚!

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a Visit.

5月31日。

今日は、所用で川場村へ行ってきた。

僕の所属している釣りクラブの秋のイベントの件で、打ち合わせにね。


一通り内容を決定してきて、後は個人的に用を済ますだけ。


中野の道祖神

「酒器持ち双体道祖神」 

中野地区にある道祖神を訪れる。 手に杯と酒瓶を持っている双体道祖神。 道行く人々の守り神っていうのが道祖神だよね。 酒飲みながら歩いている人を見守っているのだろうか? 僕にはただの酔っ払いに見えちゃうけどね。 面白い道祖神なのね。

それから、お馴染みの「道の駅 川場田園プラザ」へ。

川場道の駅田園プラザ

こちらで、新鮮野菜を調達。 レタスが安かったのでね。 それと、家族のお土産に「飲むヨーグルト」と「お焼き」を購入。 

20分程ぶらぶらして、次に村役場の方へ。

中央公園の片隅にある歌碑。

江口きち女歌碑

SLホテルの近く。ふれあい橋の西の端にある歌碑。川場村出身の薄幸の歌人「江口きち女」の歌碑で薄根川の歌。

  『瀬の色の 目立たぬほどの青濁り 雪しろのはや 交りくるらし』の歌碑。 

僕、この歌は好きなんだよなぁ・・・

ふれあい橋を渡ってみる。

ふれあい橋
 
「川場フィッシングプラザ」を訪れた方なら分かると思うけど、釣り堀の後ろに掛かっている吊り橋が「ふれあい橋」だよ。

で、お約束の釣り場見学。 見学って言っても学ぶことなんかもう無いんだけれど、取り敢えずこの場は見学って事で。

フィッシングプラザ

まぁ、見ても仕様がないのだが・・・ 平日だけあって客もそれほどは居ないね。 それよりも今日はフライマンが3名くらいしか見えなかったよ。 あとみんなルアーマン。やっぱり大物釣るにはルアーの方が有利なのかね?

しかしフライマン少ねぇなぁ・・・

橋を往復して、そらから中央公園に車を停めて、そこから更に北西へ歩いてみる。

徒歩でのんびりと20分程の所。

「萬松山 桂昌寺」 こちらにその「江口きち女」の墓所が在るんだ。今日はそちらを参詣。

本堂の左裏手側にある「江口家の墓所」 一応、個人宅の墓所で、観光名所ではないのでそこんとこは謙虚に。

江口きち女墓所2

意外と墓石は新し目の「きち」さんのお墓。

江口きち女墓所

「江口きち」

大正2年。川場村谷地出身の女流歌人。

「女啄木」と呼ばれ、多くの短歌を残した「きち」さんは、18歳でお母さんを亡くしその後家族を支えながら貧しい暮らしの中必死で耐えてきたそうです。

障害者の兄、年老いた父、そして妹の3人を養いながら懸命に生きてきた「きち」さんにとって唯一心の安らぎは「短歌」だったそうです。

でも、生来の厭世観、実らない恋への苦悩など、大変な思いをされてきたそうです。

昭和13年。兄を道連れに青酸カリによる服毒自殺をされてしまいました。僅か25年の儚い生涯だったそうです。

最後は自分で仕立てた純白のドレスを着て、胸には真紅のバラの花が付けられていたといいます。

枕元には辞世の二首残されていました。


 『睡たらひて 夜は明けにけうつそみに 聴きをさめなる 雀鳴き初む』

  『大いなる この寂けさや天地の 時刻あやまたず 夜は明けにけり』

川場村の歴史資料館の2Fに「きち」さんの資料が多く展示してあるよ。 彼女が最期に身に纏った純白のドレス(レプリカだけれど)なんかもね。 観ていると心にグッと来るものがあるよ。

今の若い子達にはあまり知られていないかもね? 群馬にはこんな天才歌人が居たってことを。 

自宅に「江口きちの生涯」って本があるから読み直してみようかな? 

ここを訪れる度に胸の熱くなる思いがするんだよね。 群馬の偉人に出会って来ました。

オダマキの花

オダマキの花2

お寺の境内に「キバナヤマオダマキ」と「ミヤマオダマキ」の花が咲いていました。

変わった形の花が特徴で、「ヤマオダマキ」の花がもうそろそろ日光や赤城山などでも咲く頃だね。トレッキングの準備でもしておこうかな?

帰り道、赤城山の麓「からっ風街道」を通って来たのだけれど、過積載の大型トラックが道を塞いじゃって困った。重すぎて上り坂で止まっちまいやがんの! 
「やめて・・・!」 何度も心の中で呟いたよ。参ったね・・・

おしまい

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Big Boss.

今週はいろいろあった・・・


僕の伯母が天へ召された。

僕の第三の母。 生まれたときからずっとお世話になってきた伯母が今週初めに亡くなった。

長い闘病の末だったが、最後はとても安らかだったらしい。 

てな訳で、今週はいろいろと予定していたのだが、全部キャンセル。 伯母の冥福を祈ることにした。そっちが優先!


で、本日は沈み気味の気分を変えるために久々のロングライド。

午前10時に自宅を出て、西へ走る。

新里町を抜け赤堀町へ入る。

清掃センター裏から、小菊の里を通り過ぎ「天幕城址」へ向かう。 センター裏手でミョーな気配。

視線

「君か・・・」 視線をビンビン感じたら、この子がジーッと見ていたのね。

丘を越えてその先にある「天幕城址」

天幕城址全景

「磯沼公園」の一角に点在する「天幕城址 てんばくじょうし」 

南北に400m、東西に120mの自然地形を利用したお城。西側は蕨沢川、北と東側は蕨沢川の旧河道の低地で城外と距てられている。本丸の北、西面には今も4m程の土居を残している。
本丸を中心とした部分に、腰曲輪、水の手曲輪、堀切り、矢払い等の軍事的な構造が顕著に見られる並郭城で、戦国時代の赤城南麓諸城の特徴を良く現し、かつその姿を留めている。

天幕城は那波氏、桐生氏の城となり、ある時は由良氏に攻略されるなど、戦国時代の動乱期の経た後、天正18年、後北条氏滅亡と共に廃城となった。
天幕城跡は、赤城南麓ひいては赤堀町の戦国時代を解明する上で重要な文化財であり、赤堀町の貴重な文化遺産として、後世に伝えるため、町指定文化財とした。 

ってな案内板があるからそれ見てね。

天幕城址1

白いのがそれね。 戦国時代の名残がここにも残っているんだね。

で、ここ「天幕城址」の脇では毎年「蓮祭り」が行われている。 今年も綺麗な蓮が見れるだろうね。楽しみ。

「天幕城址」のお隣。 ここも「磯沼公園」の一角にある史跡。

十二所古墳

「十二所古墳」

この古墳は全長約48メートルの前方後円墳である。十二所古墳が所在する峯岸山地域には3つの支群に分かれた古墳群が存在し、最大規模をもつ。昭和初期に後円部墳頂が調査され、凝灰岩や内部を赤く塗った石室が発見されているが、全体は未調査のため、築造年代等は不明である。 

って、案内板を引用。 ここいら辺は古墳群があって、歴史的にも重要な地域なんだよね。 まだまだ名もないような古墳が沢山点在している。

次に訪れたのは、こちら。

西野神社

「天幕城址」から西へ1㎞程行った所にある「西野神社」

創建は不明らしい。 いつの頃から在るかは判っていないみたい。で、「赤堀孫太郎」って人が改修したと言われてる。で、明治になってから「西野神社」って呼ばれるようになったんだって。

近所のおじいさんが教えてくれた。

西野神社3


主祭神は「建御名方命(たけみなかたのみこと)」「火産霊命(ほむすびのみこと)」 昔からの村の鎮守様なんだって。 でも、参道の幟が「諏訪大社」って書いてあったからそちらの系統みたいだね。

コウゾリナ

参道脇に小さな春。 「コウゾリナ」 ハナアブがプンプン飛んでいた。

ニガナ

「ニガナ」もあったよ。 こいつの花言葉が「質素」 なんかすご~く地味・・・

少し休憩してから、さらに西へ。

県道352号線に出て、大正用水の南側。 田畑の中にポツンと点在する奇妙な丘というか森というか、なんかそんな場所。

毒島城址

今は一部私有地になっているみたいなことを聞いていたので突入は避けたけれど、「毒島城址」ってところ。

毒島城址2


毒島城跡の構造に関しては、中心の本郭とそれを囲む腰曲輪から成っており、戸口は西南面中央1箇所のみであり、攻撃性は低く、出城としての機能を有していたと推測される。
また、毒島城には次のような伝説がある。三浦河内守謙庭が毒島城を攻めた時、この沼には大蛇が住んでおり、なかなか攻められずにいた。そこで三浦河内守謙庭は7つの石臼で毒を作り沼に投げ入れたため、大蛇はいたたまれず西に脱出し、城はたちまち落ちたという。
毒島城は、赤城南麓の戦国時代を解明する重要な文化財であることから、町指定の文化財とした。

案内板にはこんなことが書いてある。 

毒島城址4

「赤堀町の郷土資料館に行けば詳しい事が解るよ」って畑仕事をしていた小父さんが教えてくれたけれど、今日はパスさせてもらった。

現状は水田中に盛り上がった丘になっているが、古くは東西500メ-トル、南北400メ-トルの沼の中に孤立した島であった。西には茶臼山(多田山連丘の北端)、北は吉沢峯、東は轟山、南は人工築堤である。上から見れば「ひさご形」の前方後円墳の様である。島の西に巨岩あり、馬蹄の跡のようなくぼみがあり、上杉謙信の馬の蹄の跡という。島の東南築城壁には鎌倉期の五輪塔が石垣状につまれ板碑片が散乱している。後円部に小墳丘があり、小穴があいていたという。穴の中にむじながすんでいたとか。東西150メ-トル、南北100メ-トルあり、本丸とそれを囲む腰曲輪からなり、虎口は西南中央の板虎口只一箇所である。今では本丸への入り口は三箇所ある。城主毒島勘解由長綱は、永禄年中桐生氏に属し、後桐生市広沢の「広沢の寄居」に移った。この城には次の様な伝説がある。城主青木入道が三浦河内守謙庭公に攻められた時、この沼には一匹の大蛇が住んでいて寄せ手を苦しめた。そこで寄せ手は七つの石臼で毒をつき、吉沢峯の取水口から流し込んだところ、大蛇はいたたまれず西へ脱出し城はたちまち落ちたという。若君は仁田山の絹問屋(糸問屋)に落城の前晩に助けだされて仁田山方面に落ちたという。吉沢峯に今も大きい臼が残されている。これを毒臼と呼んでいる。又、城主牧弾正が上杉謙信に攻められたという。建長三年、布須島尼が念仏をとなえながら往生したということが金沢文庫の「念仏往生伝」にあるが、毒島城とぶすじま尼の関係はなにかあるのではないかと思うが、これも不明である。

こんな言い伝えも残っているんだってさ。 周りを見て回ったけれど、残念ながら今回は「謙信の馬の蹄跡の石」ってのは確認できなかったし、よりによって蛇が飛び出してきやがったので速攻撤収! たまげたぜっ!

それから、南に下り県道76号線「前橋今井線」に出る。「一丁畑」の交差点から前橋市内方面へ。

「大室公園」の南側を過ぎ、県道114号線を大胡町へひたすら上る。

6㎞程上り、大胡警察署の裏を通り「十二沼」という小さな沼の脇を通り「地蔵様」の前で小休止。

再び動き出そうと思ったら、サドルに小さなお客様。

軍配虫

「アワダチソウグンバイ」 3㎜程のカメムシ目の虫。 

それから、今回の目的の場所へ。

栄五郎親分のお墓2

「大前田栄五郎」親分のお墓。

「大前田栄五郎」親分は、江戸時代後期の侠客で、本名は田島氏。「新門辰五郎」「江戸屋寅五郎」と共に「関東の三五郎」とも呼ばれて恐れられた大人物。
上野国勢多郡大前田村で生まれ、祖父は名主を勤めたと伝わっている。父「久五郎」も博徒であった。英五郎15歳のとき、武蔵国仁手村の「清五郎」が父の縄張り内で賭場を開いたため、これを追い払ったが、この時に賭場で殺傷をおこし、侠客としてしばらく諸国を流浪した。1818年栄五郎25歳の時、新里村山上にて久宮村(現在の笠懸町)の侠客であった「丈八」と争い、「丈八」を殺害して逃亡。この結果「丈八一家」と対立し、和解は1833年のことである。

「久宮丈八」を殺害しお訊ね者となり、結局捕らえられ、佐渡に島流しにされるが脱走する。が、この島破りで身体が不自由になったともいう。
その後、尾張に勢力を張り、尾張藩の庇護を受ける二足草鞋の大親分となる。。幕末期各地に族生した博徒同士の縄張り争いの仲裁役を本領とし、顔役として縄張りをもらっては勢力を拡大。関東から東海地方にまで影響力を持ったといわれる。一貫してお上に立ち向かった武闘派博徒の「国定忠治」とは異なり、二足の草鞋をうまく使い分け、晩年は郷里に帰って大胡町向屋敷で静かに暮らした。1874年2月26日、82歳の大往生を遂げる。墓は前橋市大前田と同市大胡町雷電山の2ヶ所にある。
上州の博徒関係者が建立した墓碑には「あらうれし行先とほき死出の旅」の辞世が刻まれている。

賭場に出入りしていた若き日の初代前橋市長下村善太郎を、栄五郎が戒めたという説も残っている。

この「栄五郎親分」の縄張りを受け継いだのが「国定忠治親分」なんだって。

今日、伺ったのは大前田地区にあるお墓。 雷電山のお墓は大胡城址の近くにある。

ここで今日の目的は達成。帰路に着く。 長閑な田園地帯を突っ走る。

膳の八幡様の前を通過し、県道3号線を越えて新里小林地区へ。上毛電鉄の線路に沿うように桐生市方面へ向かう。

途中で「稲里の笠かぶり地蔵尊」に立ち寄った。

笠地蔵

「稲里の笠かぶり地蔵尊」 旧粕川村登録文化財。享保4年6月24日建立。って書いてある。

稲里の交差点近くの道路わきに鎮座しているお地蔵様。 で、その隣にある文化財が問題だったね。

馬頭観音崩壊

前橋市指定重要文化財に指定されている「馬頭観世音石造」 なんだけれども、あれ? どこに行っちゃったの?

台座が残っていて、石仏が見当たらない。

文化財が~!

いました。 無残にも蓮座ごと下に落ちていました。しかも左上部が欠けてしまっている。

地震で落ちたのか、それとも誰かのいたずらか? 不明だけれど、重文が無残な姿になっていた。 教育委員会、何とかしてくれ~!

にしても酷いよね~・・・ 貴重な文化財が・・・ 

如来、菩薩、明王、天の中で菩薩と呼ばれる部の諸尊の中で、唯一「忿怒相」である「馬頭観世音」

三面六臂の石仏は舟形光背半肉彫で、延享4年(1749年)村人たちにより建立とされている。

僕なりには「馬頭観音」って群馬の神様にピッタリだと思っている。元祖ぐんまちゃん? こりゃ失敬!

ムシトリナデシコ

帰り道でも春を発見。なんて、こんな花はそこいらじゅうに生えているワイッ!

「ムシトリナデシコ」 墓地なんかにいっぱい植えられている花だ。 花言葉は「青春の愛」墓地に合わねぇって・・・

この後は、田舎道をくねくね進み、自宅へ。 走行距離約25㎞。僕なりには結構頑張った方かな? MTBだと結構きついんだ。

来週はやることがいっぱい有るなぁ。 先ずは川場村に用事を済ませに行かねば! 

今日はこれでおしまい。

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Legend of Princess.

5月18日


昨夜は、細かな作業をしていたので今朝は目が痛いくらいに疲れが取れてない感がある。

でもとりあえずは午前6時30分起床。 昨夜寝たのが午前3時を廻っていたので4時間も寝ていない。

朝食を食べて、午前9時30分に出動。「満腹号」で外出。

渡良瀬団地裏を見に行く。 が、 このところパッとしない状況が続いているせいか、釣り人が3人しか居ない。

でも、川面を覗くと散発ながらライズは確認出来るし、魚影も見られた。 しかし、見た感じからしてかなりスレている様子。 川底には50㎝程あるだろうか、鯉が泳いでいた。

30分くらい時間を潰して再び発進!

渡良瀬川を渡り、川内町方面へ。

須永のお地蔵様2

県道338号線沿い、小学校から大体100mくらい行った所の道端の墓地の入り口に覆屋がある。
その中に安置されている「須永の地蔵菩薩」 市指定重要文化財に指定されている。

須永のお地蔵様

応永16年(1409年)に造られた古い石仏。 高さ約70㎝ 幅35㎝ 向かって右に「為妙意禅尼証在菩薩」、左に「応永己丑仏生日」と銘文が刻まれています。 ここを通るたびにいつも供えられている花やお水があるのだから、遠い昔から地域の人たちの信仰の対象になっているのだろう。 僕はこのお地蔵様は好きなんだよね~。

さらに県道を上って行く。 

川内町に昔からある神社を久しぶりに訪れる。

白滝神社

ここが神社の入り口。 「白瀧神社」

ここ桐生市は昔から「織物の街」として京都の西陣と共に国内の織物業を支えてきた街。 その「桐生織物」の原点がここにあるのね。 そう、ここが「桐生織物の発祥の地」だと僕は確信している。

白滝神社3

桐生機織りの唄の中に

「可愛い殿御は仁田山通い 小倉峠が寂しかろ 小倉峠に大蛇が出よが 仁田山通いが止めらりょか」

ってのが伝わっている。 この仁田山ってのが今の川内町で、現在の桐生市街とを結ぶ峠が小倉峠と呼ばれている。 現在では道路が出来ているので通行は楽チンだけれど、その昔は小倉峠を「絹織物」の買い付けの為に越えて行ったものだった。結構な難所だったとも聞くし、その昔、幕末頃にはまだ「追剥ぎ」も出たという話も伝わっている。

白滝神社5

この神社に伝わる伝説「白瀧姫」のお話をちょっと。

歴史を遡ること1200年前。 天平宝字年間(757~765年) 仁田山出身の「山田舎人 ヤマダノトネリ」という者がおり、都の上って宮仕えをしていた。 通り名を「山田男ノ子 ヤマダノオノコ」

やがて男ノ子は一人の官女に思いを寄せ始める。「白瀧姫」横萩右大臣豊成公(よこはぎうだいじんとよなりこう)の二女。

男ノ子は募る思いを咏に託し姫に送る。

 『水無月の いなばの露も焦がるるに 雲井を落ちぬ 白瀧の糸』

そして白瀧姫からも返咏がある。

 『雲井より ついには落つる白瀧をさ のみな恋そ 山田男ノ子よ』

二人はやがて天皇の許しを得、 晴れて白瀧姫と山田男ノ子は夫婦になり、ともに宮仕えを辞して男ノ子の故郷の仁田山へ帰ってくる。

小倉峠に差し掛かったところで姫がこう言った。
「遥か彼方に見えるは京の小倉に似た山だこと」
男ノ子はこう答える。
「それならば彼方の山を似田山(仁田山)とし、この下に開けた地を小倉と呼ぼう」 こうして仁田山と小倉の地名が生まれたと伝わっている。

二人は仲睦まじく幸せな暮らしを送ります。 特に白瀧姫が宮仕えの間に覚えた「養蚕」や「糸繰り」「機織り」の技術を仁田山の人々に教え、やがて仁田山一帯に広がる。これが「桐生織物」の始まりであり、この織物を「仁田山紬」といい、やがて「桐生絹」と呼ばれるようになるんだ。

白滝神社4

幸せに暮らしていた白瀧姫だったが、やがて重い病に罹ってしまう。

男ノ子の手厚い看病にもかかわらず、ついに白瀧姫は黄泉への旅路についてしまう。

姫は辞世に際し、

 『水の泡 消えたる我が身は白瀧の 今は珠散る峰の岩本』

 と詠じます。

里の人たちは白瀧姫の徳を慕って「岩本」の地に機神様を祀りました。 また、大岩の下に姫の亡骸を埋葬したので「岩本」の地名が付いたとも伝わっている。 手前の大岩の下に白瀧姫を埋葬したって話。この大岩は「降臨石」と呼ばれていて、こんな伝説がある。

 天上から星が落ち岩となった。 その晩は七夕で、織姫の降臨だと信じた民が機神として祀る

と言う伝説。 岩の上に小さな穴が開いていて そこに耳を当てると「カラコロ、カラコロ」と機音が聞こえたという。 が、ある時不浄なる者が雪駄を履いて岩に登ったため穢れてしまい機音は止んでしまったという。

桐生の織り子達は 「機神様よ どうかこの手が上がるように 桐生仁田山機神様に 無理な祈願がかけてある」と詠って、機神様にお参りをしたと言われているんだ。

あと、降臨石の奥に見える建物が「神楽殿」ここで催される「白瀧神社太々神楽」は桐生市指定重要無形民俗文化財になっていて、毎年8月6、7日の例祭の時に奉納されているんだ。結構見応えがあるんだよ。

地元の伝説の中ではこの「白瀧姫伝説」が僕は一番気に入っている。ここを訪れる度に「白瀧姫」がどんな人物だったのだろうか? などと思いを馳せてみたりする。 想像で今現在考え付く一番の美女を想像したりね!

神社入り口 二之鳥居の手前にある「野見宿禰」様。

白滝神社2

「野見宿禰命 ノミノスクネノミコト」 あまり聞いたことがないと思うが、言わずと知れた「相撲の神様」

日本書紀の「垂仁天皇7年7月の条」に、「野見宿禰」」と「当麻蹶速 タイマノケハヤ」の対決の話がある。

天穂日命の14世の孫にあたる野見宿禰は、剛力の者としてその名が知れていた。 一方、大和国当麻村の当麻蹶速も「天下に敵う者無し」と豪語する猛者だった。 これを聞いた天皇が2人を対決させ最も剛力の者を決めようとした。
2人の戦いは蹴り合いで始まり、やがて野見宿禰が当麻蹶速の肋骨を蹴折り、腰骨を踏み砕き殺したことで決着がついた。
 この対決から、古代宮廷の年中行事として7月7日に行われていた「相撲節会」の起源説が生まれ、今日に見られる相撲の原点となっているんだ。

因みに、「垂仁天皇32年の条」によれば、皇后の葬儀の時、野見宿禰は陵墓に生きた人を一緒に埋める代わりに、出雲国から土師部百人を呼び埴土で人や馬などを作って献上し「これを後世の倣いにしましょう」と奏上した。天皇はこれを喜び「埴輪」と名付けたという。
この功績により土師の職に任じられ、姓を「土師臣」と改め、これが「土師連 ハジノムラジ」の天皇の葬儀を司る役目の起源とされ、野見宿禰は「土師連」の祖先とされた。その後土師氏は桓武天皇に請願し天応元年(781年)に『菅原氏』の姓を賜っている。
学問の神様で有名な「菅原道真」はこの菅原氏一族で、野見宿禰の末裔に当たるんだね。

白滝神社6

本殿の隣には「八坂神社」 これは 八岐大蛇退治で有名なスーパーヒーロー「素戔嗚尊」を祀った神社だよね。

で、その右側に、いつも僕がお世話になっている塚があるのね。

白滝神社7

「針塚」 いや、本来は「刺繍」や「針仕事」の使い古した針を供養するための「針塚」なんだけれども、釣り針も針ってことで、いい仕事をしてくれた毛鉤や、折れた釣り針などの供養を僕個人で勝手にやっているのね。で、ここに毎年供養に訪れているって訳。

去年は全然釣りに行っていなかったので、供養出来るほど針は出なかったけれどね。 今年もお世話になります。

白滝神社本殿

こちらが本殿。

祭神 天八千々姫神(あめのやちちひめ)白滝姫(ぼくらのめがみさま)
配神 大穴牟遅神(おおなむちのかみ) 素盞鳴命(すさのおのみこと) 大産霊命(おおむすびのみこと)     宇気母智神(うけもちのかみ) 大山祇命(おおやまづみのかみ) 木花開那姫命(このはなさくやひめの   みこと) 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 菅原道真公(がくもんのかみさま) 大雷命(おおいかづ   ちのみこと) 建御名方神(かけみなかたのかみ) 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと) 大物主神(おおも   のぬしのかみ)

などなどをお祀りしている。

もっと細かく説明できるけれど、長くなるのでやめるね。


白瀧神社を後にし、さらに奥へ進む。

足元の小川には、小さいながらも生命の営み。

ヤマメ君

ヤマメ君4

小さいヤマメ君。 道路から確認した魚影は15㎝程の稚魚だったけれど、こんなにも小さな川で懸命に命を繋いでいる姿にちょびっと感動! 
「元気に暮らすんだぞ!」 流石にフライを浮かべる気にはなれないなぁ・・・

頑張っている姿を確認し、帰路に就いた。

明日は、ホームセンターにお買いものだ!

おしまい

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Legendary.

5月13日

ある会社に面接に行く。 手応えはあまり感じられないが、取り敢えずは先方の回答待ち。

前回同様、体に爆弾を抱えている状態の僕には厳しい回答が待っているだろうね。 やはり病気をして間もない僕には良い知らせはあまり期待できないのだ。 まぁ仕方がないけれどね。諦めずに頑張ろう。


で、14日。昨日は久しぶりに歴史探訪に出掛けてきた。


赤堀城址

「赤堀城址」

以前、紹介したことがあった「宝珠寺」 藤原秀郷公を祀った五輪塔があるお寺。そこから東に少し行った所、粕川と鏑木川に挟まれた所にあるのが「赤堀城址」。

「赤堀城」は別名「今井城」とも言われ東西約170m、南北約350mの範囲を占めている。
一辺約80mの本丸を中心に、二ノ丸、城域の外側には一小郭があったと考えられていて、赤城山南麓に特徴的な本丸を囲郭式とした並郭城であった。

赤堀城は藤原秀郷公の末裔とされる「赤堀氏」の居城で、「赤堀下野守親綱」の時に由良氏の幕下となり、その子「赤堀影秀」までは赤堀城に在城していた。その後、後北条氏幕下の「小菅氏」が在城したが、天正十八年後北条氏滅亡と共に赤堀城も廃城となっている。
赤堀城跡は赤堀氏の居城とされているが、赤堀氏の活動記録は少なく不明な点が多い。そのため、赤堀城址は、当時の赤堀氏の動向を知る重要な文化財である。なお、指定については、県道前橋赤堀線の北に位置する本丸を中心に定めたものである。ってこんな感じで案内板があります。

赤堀城址3


現在は、本丸跡は畑になっていて、土塁の一部が囲むように残っているんだ。

ここのすぐ近くに「毒島城」ってところもあって、そちらは後で紹介するけれど、戦国時代の古城跡なんだ。ここには「大蛇伝説」も残っているんだよ。 伊勢崎市のここいら周辺には「大蛇」「龍」にまつわる昔話がたくさん残っていて、歴史伝承伝説好きの僕には堪らなく魅力的な町なんだよね。


次に、粕川沿いの遊歩道を伊勢崎市街地方面へ走る。

粕川遊歩道の右岸側の小高い丘の麓に、人知れずポツリと点在している大きな岩が在る。

牛石

「牛石」と呼ばれるこの大岩。 
五目牛町って地区にある「牛石」は、牛が背を丸め俯せているような姿の巨石で、これには僕の大好きな歴史人物の「源九郎義経」にまつわる伝説があるんだ。

義経が、兄頼朝に追われ奥州に逃げる時に、この伊勢崎、赤堀周辺にあった「旧吾妻道 あずま道」を通過したという伝説がある。
かつて少数の家来と大きな黒牛を連れた義経が、粕川にさしかかったが大水で渡れなかった。考えた末、まず牛を川に入れ瀬踏みさせたところ、牛は激流に飲まれてしまった。翌日、水が引いた川辺には、石と化した牛があった。義経は「『牛石』と呼び、長く弔い候う」といい、渡り去った。って伝説が残っているんだ。

牛石3

確かに、そう言われれば「牛」の背中に見えなくもないが、もしこれが本当に牛の化身だとしたら、どれほど巨大な牛だっただろうね。


そこから南へ2㎞ほど行った所に、もう一つ義経にまつわる遺物が残っている。

正観寺山門

「義経馬殿塔」と呼ばれる石塔。
上植木本町にある「正観寺」と言うお寺。ここの山門の脇に安置されている小さな石塔がそれだ。

義経馬殿塔


義経の身代わりとなって、満水した粕川で溺れ死んだ愛馬を厚く供養し建てた正観寺の門前にある石塔で、脇に案内板が在る。


まだ面白くてわくわくするような伝説が沢山在る県内は、今の僕ではとても自転車で回れる状態ではないけれど、近くにある伝説伝承は「満腹号」で追いかけてみたいと思っている。


帰宅後は、いつもの日課。

グレートセッジ#8

いよいよ渡良瀬川もこいつの出番が到来したって感じになってきた。 
「グレート・セッジ」 ヒゲナガカワトビケラへの反応が良くなってくる頃の必殺の切り札。大物キラー。

ダンケルド

僕のお気に入りのドロッパーはこいつ。
「ダンケルド」 シルエットを大きく、フックを小さめのするパターンが僕のやり方。 この方が食い込みが良いので8割の確率でキャッチできるんだよね。ただ、もう少し増水してくれるともっとやり易いのだけれどね。ちょっと減水気味。

あと、くだらないネタだけど、「コブラーワックス」が終わっちゃったので新しいのを出したのだけど、少し古い奴だったのでいくらか固くなっているような気がする。スレッドに擦り付けるとポロポロ崩れてくる。大丈夫だと思うんだけれどね。


まぁそんな感じで今週もスタートしてしまった。


おしまい

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Engagement.

5月7日
毎月の定期健診。 体の状態は徐々にだが良くなっている。 「もう少しの頑張りだ」と掛かり付けの医者に言われた。肝心の腎機能も少しずつ正常に近付きつつあるし、この状態を続けることでいずれ全くの健康体に戻るとのこと。 もう少し。 もう少し。 頑張らなくちゃ!


5月10日

今日はちょっとした用事で、群馬県庁へ行ってきた。

普段はあまり伺うことのないのに、何故か庁舎の中部は詳しかったりするもので、「どこに何がある?」なんて迷うことなく行けちゃったりする僕。 どこで覚えたのかは自分でも良くわからんが意外と覚えているのね。
もっとも、今日、用事が在ったのは1階だったけれど。

県庁

ちょっとしたイベントで「福祉事業関係」の展示会に行ってきたんだ。 なかなか面白かったよ。

夢中になっちゃって写真撮るのを忘れちゃったのね。 トホホ・・・


ここへ来るたびに思うのだが、「こんなに広い庭必要なんかねぇ?」

県庁庁舎前広場


「税金の無駄遣い」ってやつに感じてしまうのだが、「県のお偉いさん」方の考える事は良く解らん???

時間があったので県庁の周りを軽くウォーキングする。

意外と広い敷地だったりもする。

厩橋城跡

県庁敷地内にある「前橋城跡」 庁舎の周りにある土塁もその名残。

この辺り一帯はその昔「厩橋城(前橋城)」があった場所。

市役所辺りが二の丸、地方裁判所辺りに三の丸が在ったらしい。 県庁入口から東側に200m位の所には「車橋門跡」の石積が残っているよ。

元禄年間(1688~1704年)に長野氏によって築かれた前橋城は、上杉謙信の関東進出の拠点として、北条高広が城代を務めていた。 謙信の死後、甲斐の武田勝頼が上州へ進出、支配し、天正10年武田氏滅亡後には織田信長によって滝川一益が置かれた。 天正10年6月2日、本能寺の変で信長が討たれて後、徳川家康の関東入部の際、家康の側近の平岩親吉が配置された。 など、歴史的に人事の入れ替わりの激しい前橋城だった。

慶長6年の関ヶ原の戦い以降、川越の酒井重忠が入城。9代にわたり藩主を務め、寛延2年に姫路から松平朝矩が入城。利根川の氾濫で明和9年に一度廃城になるが、再び修築されて慶応3年に松平直克が入城する。
1871年の廃藩置県が行われことで廃城になった前橋城。それまでの石高は最大で17万石だったらしい。

県庁から少し離れたところに龍海院と言うお寺があって、そこに前橋城主酒井氏歴代の墓所が在るんだ。

群馬県も戦国時代の激流の渦中にあったんだね。 時々起る僕の歴史探訪癖・・・


それから高崎市の友人宅へ立ち寄り、彼が「買い物に行く」って事でお供をする。

彼の車で、市内の釣具屋さんへ。どうやら折れたロッドの修理を頼んでいたらしい。 丁度僕も仕入れておきたいものがあったのでついでにお買いもの。

フック補充

大量に巻くので、20本単位ではケースから出すのが煩わしいので最近は有ればこのタイプばかり。 箱を見ているだけでも気合が入る!


帰宅後は速攻で風呂に入って、それからは「巻き師mum Drive」 偶には巻いてみるウェットフライ。
が、最近は殆ど巻くことがないので鈍っている感丸出し!
どいつもこいつもヘッドがでかい! おまけに少々バランスに問題ありだなぁ!

マーロックス・フェイバリット

「マーロックス・フェイバリット」
巻き終えて、写真を撮る段階で「テールが暴れている」「ウィングのマテリアルを間違えちったぃ!」「ウィングでかいみたいだ」 気になる問題が多々見て取れる。 ウッドコックを使うつもりがどういう訳かグレイマラードを使っている辺りで「ボケ」を気にし始める僕。そろそろきたのかなぁ・・・

ロイヤル・コーチマン

こいつもバランス悪いなぁ・・・ 「ロイヤル・コーチマン」 やはりヘッドが大きい気がする。どころか、よりによってバーニッシュを忘れている。 本当にボケ始めたかなぁ・・・

プロフェッサー

「プロフェッサー」 だが、「こりゃインチキ教授だぜ!」 ま~ったくひでぇバランスだこと! これで釣れたら臍で茶が沸くワイッ! テールのアイビスを忘れているしさぁ・・・ なんでレッドのコックを使ったんだろう???

アレキサンドラ

「アレキサンドラ」 マテリアルは間違えなかったぞ! しかし、な~んだかバランスがオカシイ気がするんだよなぁ・・・ まぁ釣れればいいか・・ いや、きちっと泳がなけりゃ話にならんよね!

シルバー・マーチ・ブラウン

「シルバー・マーチ・ブラウン」 これだけは僕が一番信頼できるウェットなんだよね。 何故かって? 一番釣ったフライだから!
なもので、僕のホイットレーには片面こればっかりが並んでいる。 まぁ、頑張って巻いて巻いて、もっともっと上手くなりたいよ! 来年のオークションにはウェットが出せればいいなぁ・・・ 頑張らなくちゃ!

さ~て、そろそろ「浅見光彦」が始まるから、タイイングは一時休憩しよ~っと!

暢気にTV  観ている場合じゃないだろうに・・・僕。


おしまい

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Walk along the Hometown.

5月4日。

今日は僕が生まれ育った町で開催されるイベントに行ってきた。

紗綾市開催中

毎月第1土曜日に開催される「買場紗綾市」 

「紗綾市」が開催されているこの狭い路地。「買場通り」って呼ばれているのだけど、 明治15年に関東甲信越7県の連合共進会が開かれた場所で、「桐生織物」の取り引きの場となり多くの「売り手」「買い手」で賑わい「買場」と呼ばれるようになったのね。
桐生市の商工業の発祥の地「買場通り」で平成8年から恒例の行事となったのが「買場紗綾市」なんだ。

織物繊維関係の製品や、生活用品、それに美味しい食べ物などのお店が出店され、地元住民から県外からの来訪者で賑わうんだ。 同時にここから200m程先に鎮座している「桐生天満宮」境内では「古民具骨董市」も開催されるので、ダブルで楽しむことが出来るのね。

上州富岡座繰り

「座繰り」の実演。 この「座繰り機」大正時代の物なんだって。 あっ、「座繰り」って蚕の繭から生糸を紡ぐことなんだけれど、昔はこういった機械を使って手作業で極細の生糸を紡いだ行ったんだって。 のちの富岡製糸場の原点がこの「上州座繰り」なんだ。

無農薬ブルーベリージャム
 
すぐ隣で「無農薬ブルーベリージャム」を購入。 甘さも控えめなので飽きが来ない。
ヨーグルトに添えると美味い。

紗綾市でまったり

まぁ、いつもながら程々の混み具合だったけれど、今日はそれ程欲しいものは無かったので、一頻り見て回って次の目的地へ。

車を置いた駐車場が中心街だったので、今日は軽くこの町のメインストリートを往復することになったね。

SOGAさん家

僕の生家のすぐ近く(家はもう跡形もないけれどね)のこちらでは「ハンドメイドのキャンドル」が売っていたよ。

キャンドルなのだ

「珈琲と間違えるぜこれ!」 良くできている“蝋細工”だよね。 

キャンドル屋さん

こんな感じでいろいろな手作りキャンドルが並んでいて、小さな女の子が目をキラキラさせて見ていたよ。


次に立ち寄ったのが、「有鄰館」

有鄰館

「矢野本店」の敷地内にある土蔵、煉瓦蔵群は市指定の重文に指定されている。 先の震災で被害を被ったけどどうにか復活し、それまでのイベントスペースとして使われるようになったのね。

今日はGWのイベントで「一店一作家運動」の加盟店の即売会が行われて、軽くバーゲンセールのような雰囲気だったよ。

僕は、「母の日」のプレゼントに

草木染ストール

「草木染のストール」を購入。

隣のブースでおやつを仕入れる。

手作りクッキー

ここのオリジナル商品「縄文耳飾りクッキー」と「ベイクドチーズケーキ」を購入。
「縄文耳飾り」は、桐生市の川内町の渡良瀬川沿岸で発見された遺跡「千網谷戸遺跡 ちあみがいどいせき」から出土した土器製の装飾品のこと。
遺跡は、縄文後期の配石遺構や弥生時代の土坑墓もなどが出土しており、渡良瀬川支流の山田川が渡良瀬川に合流する付近の河岸段丘にあって、東西約350m、南北100mの範囲に存在していたのね。でも開発が進むにつれ次第に旧状をとどめないようになってしまい、現在は埋め戻されて住宅地の地下に眠っている。遺跡の存在は戦前から知られていたが、地元の薗田芳雄氏により1946年以来二十数度にわたり発掘調査が行われた。とくに北関東における縄文晩期最終末の土器型式である「千網式」が設定されたことから有名になった遺跡なんだ。確か、高崎市の群馬の森の博物館に出土した土器などが展示してあったと思ったなぁ。

それから今度は中心街へ歩く。 歩道では恒例のフリーマーケットが開かれているがこれと言って欲しいものは無し。 殆どが骨董品で、僕の興味を引くものが無いのね。

本町通りと末広通りの交差点近くにある「ジョイタウン広場」

お祭りの時などのメイン会場として利用されているステージ付きの広場。ここでは「メイトバザール」と呼ばれるイベントが開かれている。

ジョイタウン広場

手前の高校生は、まぁ、僕の後輩になるんだけれど、ブラスバンド部の子たちで先程まで演奏していたらしい。

「習字イベント」や、美味しい食べ物が提供されている。

蕎麦打ち実演

ちょっと見入っちゃった「蕎麦打ち実演」 さり気無く蕎麦打ちのコツを伝授して貰っちゃったよ。


一頻り見て回って、駐車場までの道のりをのんびり歩いた。

偶に僕の育った街、嘗ての通学路、ガキの頃の遊び場、高校時代に入り浸っていた喫茶店やラーメン屋など、かなり様変わりはしているけれど、懐かしさに誘われるように街並みを見渡しのんびり歩いてノスタルジックな気分に浸るのも、いいものだよね。

GW中は多分釣りはしないんじゃないかな? 少し風邪気味だし、明日もイベントあるしね。そっちの方が楽し良いしさっ!

おしまい

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Wellcome to the ITOYA street.


5月3日。

ゴールデンウィークも後半に突入!

今朝は、午前6時30分に起床。 10時頃「満腹号」で出動。
真っ先に渡良瀬団地裏へ向かった。

河原に下りてすぐに思ったのが「水が少ねぇなぁ・・・」

河川敷には車が10台ほど。 6人のフライマンが立ち込んでいた。が、かなり渋い模様。

ハッチはあるがかなり疎らで、#16位のカディスが目立つが水面の流下物に反応しているのは“ハヤヤ”ばかりでライズの起こる場所では水面下の物を捕食しているようだった。

今朝の団地裏

空はとてもよく澄んでいて、日差しも暖か。 が、釣りにはちょっと厳しそう。 水が少ないので泳ぐヤマメが見えちゃっている状態。これはアプローチに気を付けないとね。

足元にヒラヒラと飛んできた奴。

ベニシジミ

蝶も大分出てきたね。 僕の目の前の石で休憩中の「ベニシジミ君」

20分位そこで同じクラブの会員の方と話をして、それから僕は土手の道を上流方面へ向かった。

「相川橋上」から「蕪町」の間に3人のフライマンが見えたが、こちらでも厳しそうだったね。ライズが散発過ぎて狙いが定まらないようだったね。

それから、国道122号線に出て、みどり市へ。 赤城駅の裏を通りそこから新里町方面へ。

いつもの養護学校裏の「心臓破りの坂道」を登り、いつもの交差点で一休み。

八ヶ岳

空が澄んでいるといっても、距離がある場所では多少は霞むもの。でも今日は雪を頂く「八ヶ岳」が綺麗に見えたよ。

北へ目を向けると「榛名山」から「小野子山」「子持山」までが綺麗に見える。で、更に右へ辿ると群馬のシンボル「赤城山」が聳える。

榛名山

赤城の裾野

僕が良く体力作りに登った山の「地蔵岳」も綺麗。「銚子の伽藍」も良く見える。 あそこはもう2度と行きたくないね。酷い難所で本気で命を落とす寸前だったこともあったしね。

地蔵岳と銚子の伽藍

丘を下り、自宅に12時頃到着。 昼飯を食べてから、親父殿とお袋殿を連れて市街地へ向かう。


僕の両親にとって「糸ヤ通り」はもう記憶に無いくらい訪れていない場所だったらしく、久しぶりの細い路地に懐かしさを感じているようだったね。

糸や通りいらっしゃいませ

毎年5月のGWと11月の「ファッションウィーク」に開催される『糸ヤ通りいらっしゃいませ』はだんだんと寂れていく様相の桐生市の町興しイベント。 僕もこのイベントは毎年楽しみにしてるんだよね。復興とまでは行かないけれど、シャッター街になりつつある町の経済発展にも繋がる一種の「歩行者天国」なんだ。

真っ先に「糸ヤ角会場」の『Shu&Biuelighthin'+α』の演奏を聴き入る。 僕、ファンなんだよねぇ~!

Shuさんの渋い歌声とギターに酔い痴れる。

キノピー人気者

早速登場! 桐生市のマスコット『キノピー』 のこぎり屋根をモチーフにしたゆるキャラ。 そう言えば今年の「ご当地キャラ選挙」で『ぐんまちゃん』と並んで予選突破したんだよね。5月11日から投票開始みたい。頑張れよ! キノピー! ちょっとだけ可愛いぞ!

僕の両親は、すぐ近くにある「メガ・ドンキ」へお買いもの。 僕は一人でイベントを満喫。

ミラノさんのデリワゴン

Shuさんのバンドの会場の向かい。 「手作りジェラート ミラノ」さんのデリワゴンで珈琲を頂く。

ミラノさんのジェラートと珈琲

実はここの珈琲、僕のお気に入りのお店の珈琲なんだ。 『伊東屋珈琲』さんは僕の自宅から5分位の所にある「スペシャルティ珈琲 専門店」古民家再生の店舗は、珈琲特集の本などにも紹介されていて、映画のロケ場所にもなったとても風情のあるレトロチックなお店。 珈琲は抜群に美味しいし、奥様手作りのケーキなどもめちゃウマ! ここはお薦めなんだ!

で、ここ「ミラノ」さんでブレンド珈琲を頂いて通りの中へ突入!

ひと際華やかなパラソルが目印の「桐生大学」のブースでは、可愛い女子大生のみんなが作った「パウンドケーキ」を販売中。

桐生大学生活科学科の美人処

「生活科学科」の学生達が丁寧に作り上げた「パウンドケーキ」 毎年様々なお菓子を出してくれるのでいつも楽しみなのね。 みんな一緒にスマ~ィル! 可愛いぜっ みんなっ! 因みに僕は“大人買い” 10個ほど購入した途端「残り僅かで~す」の声が掛かっちゃったよ。

日限地蔵の出開帳でお参りして、辺りをぶらぶら。

キノピー

再び「キノピー」登場! 綺麗処とパチリ!

アトリエのドーナツ

桐生市名物「アトリエのドーナツ」を購入。 昔から変わらない味と独特な形、変わったのは価格だけ。 昔からお茶請けに愛されている桐生市のソウルフードと言ってもいいだろうね。 素朴だけれど美味しいんだこれ。

地元の中学校の合同ブラスバンドの行進だ!

地元中学校合同ブラバン

良く歩きながら演奏できるなぁと、毎回感心してしまうんだよね。みんな一生懸命練習しているんだろうね。

今日のメインイベントがやって来た。

後輩達

先ず、僕の高校の後輩たちが演奏しながら通り過ぎ、その後に続く行列が今年のメイン!

4月8日が誕生日の「お釈迦様」 その誕生日を祝ったのが「花祭り」
仏教の開祖、お釈迦様の生誕を祝福する仏教行事で、「潅仏会(かんぶつえ)」「仏生会(ぶっしょうえ)」ともいい、「花祭り」と言うのは明治以降にそう呼ばれたんだ。で、「浴像会」「降誕会」などとも呼ばれ、古代からお釈迦様の生まれたインドで行われてきた行事。日本ではお盆とともに仏教伝来からの歴史があるんだって。

花祭り稚児行列

「可愛い~ぃ!」 ぞろぞろと練り歩く可愛い「おじゃる丸」が沢山!

稚児衣装を着て練り歩くちびっ子達。お釈迦さまがお誕生になられる前にお釈迦さまの母上様の「マーヤ夫人」の夢の中でマーヤ様のお体の中へ「白い象」が入っていったという故事に倣い「白い象」と共に行進するんだ。後に見える「白い象」の背にはお釈迦さまの誕生佛を据えた「花御堂」があり、「花御堂」は、お釈迦さまのご誕生の地であるルンビニーの花園を表現しているんだよね。で、お誕生にあたっては二匹の竜が天空より甘露の雨を降らして祝福したことから灌佛会(灌佛=佛さまの頭頂に水を注ぐこと)とも言われているんだ。これに習い「花まつり」では甘露の雨をあらわした「甘茶」を誕生佛に注いで、その後甘茶を頂くのが倣いなんだ。 この「花まつり」に3回参加すると幸せになれるとも伝わるから、お子様は是非参加してもらいたいよね。

花祭り稚児行列2

花祭り稚児行列3

慣れない衣装に戸惑いながらも、楽しそうに練り歩く「おじゃる丸」一行。 子供にこういう衣装は抜群に似合うよね! 写真を撮っている僕も自然に頬の筋肉が緩んじゃう。

花祭り稚児行列5

今日は日中は暖かかったからね、こちらではスヤスヤお休み中のおチビちゃん。 この子のお姉ちゃんなんだろうか? 「寝ちゃったよ~!」ってママさんに言っていたね。


帰宅後、早速おやつタイム。

前日、館林市の「大島まんじゅう屋」さんで仕入れてきた「あーもん」と一緒に、今日買ってきた「パウンドケーキ」を頂く。

おやつの時間

珈琲はもちろん「伊東屋珈琲」さんのオリジナルブレンド「桜ブレンド」 

いつも思う。珈琲には「あーもん」は抜群に合う。 で、この「サツマイモのパウンドケーキ」だが、甘さはしつこくなく丁度いい。 で、入っている胡麻の加減も丁度良くサツマイモの香りと食感を邪魔しない程度に入っている。本当に丁度いい加減なのね。 流石「生活科学科」だよね。 素朴な味わいだけれど抜群の黄金比を醸し出しているよ。 とってもおいしく頂きました! 

それから、「アトリエのドーナツ」

アトリエドーナツ

見た目が沖縄の「サータアンダギー」によく似ているが、これは昔ながらの「手作りドーナツ」 珈琲に良く合うし、子供たちには「ミルク」がお薦め。 これも素朴で美味しいんだ! 僕は今日は食べなかったけれどね。


明日はまた別のイベントが開催されるので、そちらにも参加予定。 釣りはいいや・・・ どうせ混んでいて満足な釣りにならんから、そっちはみんなに任せるとして僕は町興しイベントに参加決定だ!


おしまい

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