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気まぐれ釣り師の、底抜け冒険譚!

Legend of Princess.

5月18日


昨夜は、細かな作業をしていたので今朝は目が痛いくらいに疲れが取れてない感がある。

でもとりあえずは午前6時30分起床。 昨夜寝たのが午前3時を廻っていたので4時間も寝ていない。

朝食を食べて、午前9時30分に出動。「満腹号」で外出。

渡良瀬団地裏を見に行く。 が、 このところパッとしない状況が続いているせいか、釣り人が3人しか居ない。

でも、川面を覗くと散発ながらライズは確認出来るし、魚影も見られた。 しかし、見た感じからしてかなりスレている様子。 川底には50㎝程あるだろうか、鯉が泳いでいた。

30分くらい時間を潰して再び発進!

渡良瀬川を渡り、川内町方面へ。

須永のお地蔵様2

県道338号線沿い、小学校から大体100mくらい行った所の道端の墓地の入り口に覆屋がある。
その中に安置されている「須永の地蔵菩薩」 市指定重要文化財に指定されている。

須永のお地蔵様

応永16年(1409年)に造られた古い石仏。 高さ約70㎝ 幅35㎝ 向かって右に「為妙意禅尼証在菩薩」、左に「応永己丑仏生日」と銘文が刻まれています。 ここを通るたびにいつも供えられている花やお水があるのだから、遠い昔から地域の人たちの信仰の対象になっているのだろう。 僕はこのお地蔵様は好きなんだよね~。

さらに県道を上って行く。 

川内町に昔からある神社を久しぶりに訪れる。

白滝神社

ここが神社の入り口。 「白瀧神社」

ここ桐生市は昔から「織物の街」として京都の西陣と共に国内の織物業を支えてきた街。 その「桐生織物」の原点がここにあるのね。 そう、ここが「桐生織物の発祥の地」だと僕は確信している。

白滝神社3

桐生機織りの唄の中に

「可愛い殿御は仁田山通い 小倉峠が寂しかろ 小倉峠に大蛇が出よが 仁田山通いが止めらりょか」

ってのが伝わっている。 この仁田山ってのが今の川内町で、現在の桐生市街とを結ぶ峠が小倉峠と呼ばれている。 現在では道路が出来ているので通行は楽チンだけれど、その昔は小倉峠を「絹織物」の買い付けの為に越えて行ったものだった。結構な難所だったとも聞くし、その昔、幕末頃にはまだ「追剥ぎ」も出たという話も伝わっている。

白滝神社5

この神社に伝わる伝説「白瀧姫」のお話をちょっと。

歴史を遡ること1200年前。 天平宝字年間(757~765年) 仁田山出身の「山田舎人 ヤマダノトネリ」という者がおり、都の上って宮仕えをしていた。 通り名を「山田男ノ子 ヤマダノオノコ」

やがて男ノ子は一人の官女に思いを寄せ始める。「白瀧姫」横萩右大臣豊成公(よこはぎうだいじんとよなりこう)の二女。

男ノ子は募る思いを咏に託し姫に送る。

 『水無月の いなばの露も焦がるるに 雲井を落ちぬ 白瀧の糸』

そして白瀧姫からも返咏がある。

 『雲井より ついには落つる白瀧をさ のみな恋そ 山田男ノ子よ』

二人はやがて天皇の許しを得、 晴れて白瀧姫と山田男ノ子は夫婦になり、ともに宮仕えを辞して男ノ子の故郷の仁田山へ帰ってくる。

小倉峠に差し掛かったところで姫がこう言った。
「遥か彼方に見えるは京の小倉に似た山だこと」
男ノ子はこう答える。
「それならば彼方の山を似田山(仁田山)とし、この下に開けた地を小倉と呼ぼう」 こうして仁田山と小倉の地名が生まれたと伝わっている。

二人は仲睦まじく幸せな暮らしを送ります。 特に白瀧姫が宮仕えの間に覚えた「養蚕」や「糸繰り」「機織り」の技術を仁田山の人々に教え、やがて仁田山一帯に広がる。これが「桐生織物」の始まりであり、この織物を「仁田山紬」といい、やがて「桐生絹」と呼ばれるようになるんだ。

白滝神社4

幸せに暮らしていた白瀧姫だったが、やがて重い病に罹ってしまう。

男ノ子の手厚い看病にもかかわらず、ついに白瀧姫は黄泉への旅路についてしまう。

姫は辞世に際し、

 『水の泡 消えたる我が身は白瀧の 今は珠散る峰の岩本』

 と詠じます。

里の人たちは白瀧姫の徳を慕って「岩本」の地に機神様を祀りました。 また、大岩の下に姫の亡骸を埋葬したので「岩本」の地名が付いたとも伝わっている。 手前の大岩の下に白瀧姫を埋葬したって話。この大岩は「降臨石」と呼ばれていて、こんな伝説がある。

 天上から星が落ち岩となった。 その晩は七夕で、織姫の降臨だと信じた民が機神として祀る

と言う伝説。 岩の上に小さな穴が開いていて そこに耳を当てると「カラコロ、カラコロ」と機音が聞こえたという。 が、ある時不浄なる者が雪駄を履いて岩に登ったため穢れてしまい機音は止んでしまったという。

桐生の織り子達は 「機神様よ どうかこの手が上がるように 桐生仁田山機神様に 無理な祈願がかけてある」と詠って、機神様にお参りをしたと言われているんだ。

あと、降臨石の奥に見える建物が「神楽殿」ここで催される「白瀧神社太々神楽」は桐生市指定重要無形民俗文化財になっていて、毎年8月6、7日の例祭の時に奉納されているんだ。結構見応えがあるんだよ。

地元の伝説の中ではこの「白瀧姫伝説」が僕は一番気に入っている。ここを訪れる度に「白瀧姫」がどんな人物だったのだろうか? などと思いを馳せてみたりする。 想像で今現在考え付く一番の美女を想像したりね!

神社入り口 二之鳥居の手前にある「野見宿禰」様。

白滝神社2

「野見宿禰命 ノミノスクネノミコト」 あまり聞いたことがないと思うが、言わずと知れた「相撲の神様」

日本書紀の「垂仁天皇7年7月の条」に、「野見宿禰」」と「当麻蹶速 タイマノケハヤ」の対決の話がある。

天穂日命の14世の孫にあたる野見宿禰は、剛力の者としてその名が知れていた。 一方、大和国当麻村の当麻蹶速も「天下に敵う者無し」と豪語する猛者だった。 これを聞いた天皇が2人を対決させ最も剛力の者を決めようとした。
2人の戦いは蹴り合いで始まり、やがて野見宿禰が当麻蹶速の肋骨を蹴折り、腰骨を踏み砕き殺したことで決着がついた。
 この対決から、古代宮廷の年中行事として7月7日に行われていた「相撲節会」の起源説が生まれ、今日に見られる相撲の原点となっているんだ。

因みに、「垂仁天皇32年の条」によれば、皇后の葬儀の時、野見宿禰は陵墓に生きた人を一緒に埋める代わりに、出雲国から土師部百人を呼び埴土で人や馬などを作って献上し「これを後世の倣いにしましょう」と奏上した。天皇はこれを喜び「埴輪」と名付けたという。
この功績により土師の職に任じられ、姓を「土師臣」と改め、これが「土師連 ハジノムラジ」の天皇の葬儀を司る役目の起源とされ、野見宿禰は「土師連」の祖先とされた。その後土師氏は桓武天皇に請願し天応元年(781年)に『菅原氏』の姓を賜っている。
学問の神様で有名な「菅原道真」はこの菅原氏一族で、野見宿禰の末裔に当たるんだね。

白滝神社6

本殿の隣には「八坂神社」 これは 八岐大蛇退治で有名なスーパーヒーロー「素戔嗚尊」を祀った神社だよね。

で、その右側に、いつも僕がお世話になっている塚があるのね。

白滝神社7

「針塚」 いや、本来は「刺繍」や「針仕事」の使い古した針を供養するための「針塚」なんだけれども、釣り針も針ってことで、いい仕事をしてくれた毛鉤や、折れた釣り針などの供養を僕個人で勝手にやっているのね。で、ここに毎年供養に訪れているって訳。

去年は全然釣りに行っていなかったので、供養出来るほど針は出なかったけれどね。 今年もお世話になります。

白滝神社本殿

こちらが本殿。

祭神 天八千々姫神(あめのやちちひめ)白滝姫(ぼくらのめがみさま)
配神 大穴牟遅神(おおなむちのかみ) 素盞鳴命(すさのおのみこと) 大産霊命(おおむすびのみこと)     宇気母智神(うけもちのかみ) 大山祇命(おおやまづみのかみ) 木花開那姫命(このはなさくやひめの   みこと) 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 菅原道真公(がくもんのかみさま) 大雷命(おおいかづ   ちのみこと) 建御名方神(かけみなかたのかみ) 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと) 大物主神(おおも   のぬしのかみ)

などなどをお祀りしている。

もっと細かく説明できるけれど、長くなるのでやめるね。


白瀧神社を後にし、さらに奥へ進む。

足元の小川には、小さいながらも生命の営み。

ヤマメ君

ヤマメ君4

小さいヤマメ君。 道路から確認した魚影は15㎝程の稚魚だったけれど、こんなにも小さな川で懸命に命を繋いでいる姿にちょびっと感動! 
「元気に暮らすんだぞ!」 流石にフライを浮かべる気にはなれないなぁ・・・

頑張っている姿を確認し、帰路に就いた。

明日は、ホームセンターにお買いものだ!

おしまい

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