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気まぐれ釣り師の、底抜け冒険譚!

Japanese Pompeii. ~JFF Nagano meeting 2014~

昨日の続き~!

日付が変わるまで釣り談義に花を咲かせていたのだが、流石に皆疲れていたようで「明日があるさ!」ってな具合に就寝となった。


翌朝、7月6日。

午前6時30分頃に目が覚め、のそのそと布団から這い出し、洗面所で半分寝ている脳みそに喝を入れる様に冷たい水で顔を洗う。 高原の朝の冷たい風が心地良い。雨が降った後のやや湿り気のある冷たい風だ。

今朝の朝食は少し早い。 7時30分。

朝食だよ

日本人の朝はこれだよね~。 焼き魚に納豆、卵焼き。そして白いご飯に御御御付け。
しかし、僕の場合「御御御付け要注意」の御触れが医者から突き付けられているので、食べたのは具とちょこちっとだけ飲んだだけ。 あと、極端にしょっぱいモノは遠慮させて頂いた。 でも、美味しかったよ~! これが楽しみで毎年参加しているようなものだからね。「スタートライン」の飯は旨い!

食後は、長野ミーティング恒例の「金魚掬い選手権」の始まり!
今年の優勝カップ? は誰の手に?

今年の優勝者は?

が、今年は都合により「スーパーボール掬い」に変更。

スーパーボール掬い

「動かない相手」なんて、甞めてかかると痛い竹箆返しに見舞われるんだぜ! 
こいつらの重量は“ポイ”の掬える強度の限界を遥かに上回っているんだからね。

真剣

白熱?

皆、釣りよりも真剣になったいたんじゃあないかな? 制限時間15秒。 その間に何個掬えるかだ。

昨年の優勝は僕が頂いたのだが、今年は僕がブービー。 2回戦やって合計2個しか取れんかった。
で、今年の優勝者は新潟のYさん。 やったね! おめでとう!

白熱戦の後は珈琲でまったりタイム。

珈琲でマッタリ

モーニング珈琲を頂きながら、2日目の今日の予定を皆で相談。
僕は、右腕の痛みが治まらずしんどいので今日は釣りはパスさせて頂いた。

で、予定は「川中島の知人の家」を訪ねようと思っていたのだが、電話したら留守だったので予定変更をせざるを得なくなっちまった。

解散前に「スタートラインの科学くんの部屋」へ皆で突入して行ったの。

オーナーのFさんの謂わば“趣味の部屋”

センチコガネ

「オオセンチコガネ」 日本に住んでいる3種類のセンチコガネの中で1番綺麗な奴。
こいつらは場所や環境によって色が違うものがいて、見ていて楽しいんだ。死んだふりも得意技なんだよね。
近畿地方や関西などでは「赤」や「青」の光沢のある種類も住んでいるんだ。 因みにこいつら「フンコロガシ」の仲間ね。

棟梁

「ノコギリクワガタ」 僕の地元の仲間の間では“棟梁”と呼んでいる。
これは千曲川方面で見つけた個体だって。

その他、オーナーの長年の趣味「タガメ飼育」や渓流魚水槽、熱帯魚水槽など、昆虫の標本や飼育をされていて、僕には堪らんスペースなのね。毎年この部屋に入るのが楽しくて仕方ないの。

ペンションの外の庭も、季節ごとに咲く花や植物。それに集まってくる虫たちが沢山居る。

ルピナス

「ルピナス」 ノボリフジね。 これは種類が沢山あって、1年草タイプと宿根草タイプがある。
花言葉は「イマジネーション」  この花、ラテン語では“オオカミ”って意味なんだって。荒れ地でも育つ強い花だからだそうだよ。

アヤメ

「アヤメ」  この花、僕は好きなんだ。 
「アヤメ」と「カキツバタ」の違いってややこしいと思うけれど、乾いたところに咲くのが「アヤメ」、湿っぽい所に咲くのが「カキツバタ」って区別するといいよ。 花を見て判断する決め手は、花びらの付け根が黄色くて紫色の網目模様が入っているのが「アヤメ」 花びらの真ん中に白い筋が入っているのが「カキツバタ」 これはあくまでも目安ね。最近は品種改良も進んでいるので訳わからん花もあるからね。因みに「カキツバタ」ってのは、昔、この花を布に擦り付けて花木染などをしていて「かきつけ花」が転じて「カキツバタ」って呼ばれるようになったそうだよ。
平安時代の在原業平が詠んだ

  「唐衣 きつつなれにしつましあれば 遥々きぬる旅をしぞ思う」

この咏の句の頭に「カキツバタ」の5文字を配しているんで有名だよね

で、この「アヤメ」、花言葉は「いい便りを待っている」だよ。


ウツボグサ

「ウツボグサ」  「ウツボ」って言っても海のギャングの「ウツボ」ではなくて、昔の武士や猟師が背中に背負った矢を入れる道具の「靫」の形に似ているので「ウツボグサ」って呼ばれているんだよ。
こいつの花言葉は「協調性」

ハバチの仲間

「ハバチ」の仲間。 種類が多すぎて判別するのが難しいの。流石に僕もこいつの名前が出て来ない。

ヒメキマダラセセリ

「ヒメキマダラセセリ」 セセリチョウも種類が多いのね。 顔が童顔でとっても可愛いんだ。

ヨツボシテントウダマシ

「ヨツボシテントウダマシ」だと思っていたんだけれど、良く見たら「ヨツボシナガツツハムシ」だと判明。
この手のハムシは矢鱈とソックリさんが多くてね。なかなか判別が手強いんだよね。僕でもよく間違えちゃうんだ。もっと勉強しなくちゃね。まぁ、あまり役立つってものじゃあないけれどさ・・・


時間も10時を回り、今年の長野ミーティングも解散となった。釣りに向かうメンバーや観光を楽しむメンバーなどに分かれ、「スタートライン」を後にした。
僕は、結局川中島へは向かわず、菅平を抜け国道406、144号線を草津方面へ車を走らせた。

鳥居峠

数年ぶりの鳥居峠。 四阿山登山をした時以来だから8年程になるかな? ここが群馬と長野を繋ぐ「信州街道」

田代湖の脇を抜け、嬬恋村の笹平と言う地区に入る。ここは万座方面と北軽井沢方面に続く日本ロマンティック街道の分岐点にあたり、「万座ハイウェイ」と「鬼押しハイウェイ」の『浅間白根火山ルート』の交差点だ。

僕は「鬼押しハイウェイ」方面に2㎞ほど入り、今日の目的地へ。

鎌原観音堂

嬬恋村 「鎌原観音堂 かんばらかんのんどう」

1783年(天明3年)8月5日午前11時頃。 浅間山が大噴火を起こし山麓にあった鎌原村を急襲しました。
大量の溶岩が噴出し、土砂石を巻き込みながら「土石なだれ」となり時速100㎞を越える猛スピードで村を飲み込んで行きました。

この時の村人は、「噴火は空から降ってくる火山灰くらい」と思っていたらしく、土石なだれには警戒していなかったそうです。
家の中に居た477人の尊い命は奪われ、観音堂の在った高台に逃れたのは93人でした。
これが火山災害の歴史に残る「浅間押し」と呼ばれる大災害です。 そしてここ鎌原村は歴史の教科書にも載っていた「日本のポンペイ」と呼ばれる場所なんだ。

観音堂

駐車場に車を停め、階段を降りて行く。

観音堂の境内。 今僕が立っているところの下には、昔の鎌原村が埋まっているんだよね。

観音堂正面

境内を進み、高台の上に見えるのが観音堂。大噴火の時、鎌原村で唯一残った建物。

観音堂2

手前の赤い橋。 ここの下には観音堂へと続く石段が埋まっている。 昭和54年の浅間山埋没村総合調査会による第一次発掘調査が行われ、石段は全部で50段。 現在は15段が残り橋の下に10段が掘り起こされている。
で、この石段の下から2人の折り重なった女性の遺体が見つかったんだ。年老いた母を背負ってこの石段を登ろうとしたが土石なだれに飲み込まれてしまった娘さんの折り重なった遺骨だそうだ。 資料館や、観音堂本堂にこのお二人の復元された顔が展示されている。

観音堂3

観音堂。 お参りをして、御守りを入手。 それから併設する「嬬恋郷土資料館」を拝観。ここは写真撮影不可なので写真は無しね。
でも、資料館の中には発掘された様々な出土品や、鎌原村を襲った災害のすべてが説明されている。 
そして、村の復興に携わった生き残った人々の苦労や悲しみ、生き様が良く分かるんだ。 機会があったら行ってみるといいよ。 災害の恐ろしさ、悲劇など本当に理解できるから。

観音堂の敷地内にあるパン屋さん。

パン工房六角堂
 
「パン工房 六角堂」さんで、小休止。

珈琲で一服

珈琲を一杯頂く。そして、パンを2つ購入。

それから、車を信州街道から国道406号線へ。 嬬恋村から長野原町を経て須賀尾峠を越えて吾妻町薬師温泉方面へ。
榛名山の裏側、国道406号と県道58号中之条吾妻線のぶつかる所。「大戸」と言う所。

大戸関所跡

「大戸関所跡」

その昔、信州街道は「草津道」「善光寺道」や「大笹街道」などと呼ばれ、江戸と信州を結ぶ最短距離の街道として重要視されていたんだ。
ここ大戸には信州街道の要所として宿場町があり幕府が関所を設置した。
元和9年に2代将軍徳川秀忠の上洛にあたり、時の安中城主井伊直勝が警固を命じられたのがその始まりとされているんだ。で、寛永8年に関所に正式に設置されることになったんだ。
この関所の200m程先に「加部安佐衛門屋敷跡」がある。
「加部安佐衛門」と言う人物。あまり聞きなれない名前だと思うけど、戦国時代にここ吾妻郡大戸に土着した「初代安佐衛門」から代々当主は安佐衛門を襲名し、江戸時代には「一に加部、二に佐羽、三に鈴木」と言われる大富豪で、上州分限者の筆頭に上げられた人物で「加部安」の名で知られた人物なんだ。現在でも屋敷跡には十万石の格式をまねた石垣などが残っているよ。

関所跡から1kmほど高崎方面に進んだところに在るお地蔵様。

忠治地蔵

「忠治地蔵」

1836年(天保7年) 信州中野で子分を殺害された国定忠治は、敵討ちの為に信州中野へ子分を連れて向かった。
しかし、信州街道には大戸関所が存在するため、忠治は関所を避けて信州に入り込んだんだ。所謂「関所破り」だ。

江戸の当時、関所を通らず山越えなどの「関所破り」は重罪で、極刑に処されるものだったのね。しかも忠治親分はそれを2回もやらかしたそうで、お役人方も相当頭に来ていたそうだ。
1850年(嘉永3年)8月未明。上州田部井村の庄屋「西野目宇右衛門」邸の納屋で妾のお町の看病を受けているところ(罰が当たったのか、その時は脳溢血で足が不自由だったそうだ)を、八州役人、中山誠一郎の指揮する捕手たちにより捕縛された。で、詮議のため江戸送りとなってしまう。

親分刑場跡

同年、12月21日。 
自ら破った、上野国吾妻郡大戸村大戸関所で磔の刑に処せられる。
有名な話で、役人に最後の酒を勧められた親分は「酔って死んでは男が廃る」と最後の酒を断り、槍で突かれても呻き声一つ上げず、笑って息絶えたというエピソードがある。
悪いことをやって来た人物だったけれど、最後は男を見せた忠治親分。享年41歳。

親分刑場跡2

これが忠治親分が磔獄門とされた場所なんだ。 

子分の為に命を掛けて関所を破り敵討ちをする長岡忠次郎(国定忠治)親分や、大災害の悲劇を乗り越えて力を合わせて生き抜いた鎌原村の人々。 上州人はやっぱり「義理人情に厚い」んだなぁって感じる旅の終わりだったよ。

今年の長野ミーティング2日目は、こんなところに立ち寄って来たんだけれど、なんだか胸が熱くなるような思いの印象に残る旅だったよ。
また時間を作って、今度は鎌原村を散策してみようと思う。

おしまい

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