FC2ブログ

気まぐれ釣り師の、底抜け冒険譚!

In an occasion of the work.

5月20日


今日は僕個人のお客様の所へ出張タイイング教室。

信州の小諸には午前9時には到着していて、みっちりと6パターンをレクチャーしてきた。 

お相手が年配の方で、老眼だから大変だったよ。でも、FFへの情熱は僕以上かも知れない。 御年77歳の紳士です。


午後1時過ぎまでレクチャーして、僕はそれから碓氷峠を下る。

お昼ご飯がまだだったので、馴染みのお店に向かうことにする。時間は2時を回っていた。

碓氷峠の麓にある「関所食堂」へ行ったら、今日は営業していなかったのね。遅かったので終了しちゃっていたみたい。

仕方がないので、このエリアで僕の行き付けのもう一つのお店へ。

JR横川駅の入り口手前にある「松一食堂」 ここは僕が学生時代から偶に立ち寄るお店。 カツ丼が旨い!

で、今日はもの凄くお腹が減っていたので(朝食は野菜サラダを少しだけ、以降何も食べていなかった) ちょっとガッツリいってみようかな? と思い、無理矢理2品Orderしてしまった。

かつ丼と焼きそば

ちょっと多すぎかな? 実はこちらのお店、昔から量が多いお店だったことをすっかり忘れていたんだ。

かつ丼まいう~

焼きそばまいう~

少し甘めの味付けのカツ丼。 この味は僕の好み。 しかし量が多い。

で、野菜たっぷりの焼きそばは、あっさり味のこれまた僕好み。 お店のおばちゃんに冷奴と蕗の煮付けをサービスして貰っちゃった。 おばちゃん、ご馳走様でした!

遅めの食事の後、富岡市方面へ移動。 「こんにゃくパーク」へ立ち寄る。

こんにゃくパーク

富岡市の隣町の甘楽町にある「こんにゃくパーク」 最近TV でも紹介されていたなぁ。 僕がよく訪れていた頃は「こんにゃく博物館」だったけれどね。 ここで、こんにゃく製品を格安で購入する。

序でに工場見学。

こんにゃく作ってます

しらたき製造中

施設の二階からこんにゃくを作っているところを見学できるのね。 結構おもしろいよ!

モニターには中山先輩が・・・

秀ちゃん

ちょっと、何してるの? 群馬の看板だねこの人。
で、今日はデザート系のこんにゃく製品を大量購入。 それから、同町の小幡地区へ。

「楽山園」

楽山園

国指定名勝 楽山園 は、江戸時代初期の小幡藩邸の庭園で、1590年(天正18年)の徳川家康の関東入封時、3万石で奥平信昌に上州福島を治めさせ、その後、1615年(元和元年)に、初代織田信雄が小幡領2万石を与えられ、3代信昌の時に「小幡陣屋」を造る。 で、1642年(寛永19年)に移転したと伝わっている。

1766年の明和事件に係わり処罰を受け、出羽高畠に転封になるまでの130年間、8代信邦まで織田氏は続いたが、以降松平家が幕末まで治めることとなる。

ここはその旧小幡藩邸の在った場所で、建造物は存在していないが、当時の土塁や堀が残っている遺跡として名勝に指定されているんだ。 この中門をくぐり、土塁の先に当時の陣屋があったんだって。

楽山園庭園2

僕はここの庭園が好きでね、時々遊びに来ている。

楽山園庭園5

こちらは「梅の茶屋」 
庭園の全景が見渡せる所で、茅葺屋根、杮葺き庇の茶室風の建物。当時の藩主や姫様がここで休憩したりしていたらしいよ。 僕も今日はここにあがって畳の上に大の字に寝そべって、殿様気分を味わってきた。

続いて、楽山園の場所から更に山奥にある「宝積寺」へ。

宝積寺2

楽山園から2㎞程南へ、轟地区にある「宝積寺 ほうしゃくじ」は、小幡氏の菩提寺で、曹洞宗のお寺。

織田氏が入封した後に、このお寺を菩提寺にしたらしいのだが、火災が何度かあって、史料を焼失してしまった為に推定でしかないのだが、こちらには「小幡氏一族の墓所」とみられる宝篋印塔や五輪塔、板碑などが残っている。

小幡氏累代の墓所

こちらがそれとみられる墓所。

で、その墓所の傍らに、小さな墓石が2つ並んでいる。

菊女の墓所

「菊所の墓」 と呼ばれている墓石。

皆さんは、昔から伝わっている怪談で「番町皿屋敷」というお話は知っていますよね。
実は、この「お菊」さんのエピソードが「番町皿屋敷」の物語の原型になっているのでは?という話しがあるんだ。

“ 菊女は、小幡信貞の腰元として寵愛されていた。しかしそれに嫉妬した正室が、信貞不在の折に、膳飯の中に針を入れるという無実の罪を着せて、樽に蛇や百足と共に押し込めて、菊が池に沈め殺してしてしまったのである(あるいは信貞本人が処刑を命じたとも)。伝承では、この菊女の助命嘆願をしたのが宝積寺の住職であり、小柏源介という者が菊女を救い出したが、既に事切れていたとされる。これが天正14年(1586年)のことと伝わっており、それから4年後に豊臣秀吉の小田原攻めがおこなわれ、小幡氏は北条氏滅亡と共に歴史の表舞台から消えてしまう。”

その後も「菊女の祟り」なるモノが付きまとい、こんなモノが建立されたんだって。

菊女観音

“小幡氏の滅亡後も、菊女の祟りと言われるものがあったとされ、宝積寺では度々追善供養をおこなっていた。さらに明和5年(1768年)に菊が池に大権現として祀られ、平成5年(1993年)には菊女観音像が建立されている。”

“小幡氏には菊女の祟りがつきまとい、さらにその祟りが移動によって伝播しているとも取れる怪談話が残されている。
 真田藩が沼田から松代へ移封される時、家臣の小幡上総介信真もつき従ったのだが、松代へ着くと駕籠代を多く取られた。不審に思って尋ねると、二十歳ばかりのやつれた女性が乗っていた駕籠があったという(あるいは、誰が乗っているのか判らない女駕籠があったが、松代に着いて中を改めると誰も乗っていなかったいうパターンも)。それを聞くなり小幡は、末代までお菊の亡霊が付いてきたに違いないと思ったそうである。”

“”の間は引用の薀蓄だけれど、群馬にはこんな隠れた怪談話が存在しているんだよね~。 あまり知られていないけれどね。

お不動様

境内の脇の方にある「お不動様」 

お不動様は僕の守り本尊。「酉年、9月」だからね。 こちらのお不動様は脇侍の矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒迦童子(せいたかどうじ)を従えている。

お次は、宝積寺から1.5㎞程戻ったところにある「崇福寺」へ。

こちらは小幡藩織田家の墓所が在る。

織田氏七代の墓所2

織田家の菩提寺の「崇福寺」は、初代藩主 織田信雄から7代信富までの歴代藩主と、一族13基のお墓があるんだ。

実はこちらも火災による史料の焼失で一部推定なのだが、ここにある墓石の中で一番大きなものが初代信雄のものとされているらしい。

織田氏七代の墓所4

これね。

ところで、織田信雄(おだ のぶかつ)って知っているよね?

安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、織田信長の次男だった人物だよ。この人が小幡藩主で、小幡織田家の初代だった人なんだ。 信長直系の子孫が群馬に居た事を知っている人って多くはないかも知れないね。 尤も、織田信長の名前があまりにも有名すぎるからね。 子孫は影に隠れちゃっているようなものだし。

織田氏七代の墓所3

こちらの墓所は町指定史跡となっている。参拝は自由だよ。

こういった地元に根付いている隠れた歴史に触れてみるのも、偶には良いものだよね。


おしまい
にほんブログ村 釣りブログ フライフィッシングへ
にほんブログ村

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

URL
コメント

パスワード
秘密
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL : http://flyojisan1969.blog13.fc2.com/tb.php/332-56362f0b
<< Splendore MAEBASHI. | TOP | A Rod and Line,With a Fly at one end and a Fool at the other. >>